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ヘルメットのリスク補償論と、矛盾。

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ロードバイクにおいて、ヘルメットを被るのはもはや常識と言っていい話。
ですがプロレースでヘルメット着用が義務化されたのは2004年です。
それ以前はヘルメット着用が常識とは言えなかったわけですが、今や常識になったわけで、ある種のパラダイムシフトと言ってもいいかと。
自治体によっては、ヘルメット着用を義務化する条例もあります(罰則が無いので努力目標に近いですが)。

 

前にも書いてますが、

 

ヘルメット不要論者の思考。
先日の記事。 書いているように、私自身はヘルメットは必要だと思うので被ります。 ヘルメットの記事を書くと、このような意見を頂くことが多々あります。 こういう意見があった場合、多くの人は、 このように考える人が多いかと。 もしヘルメット無しで...

 

ヘルメット反対派には、リスク補償という考えを主張する人もいます。

ヘルメットとリスク補償

これについてはウィキペディアにも書いてあります。

ヘルメットを着用すると自転車利用者が安心し、より大きなリスクを取るようになるのではないかとの仮説がある。

 

ヘルメット (自転車) - Wikipedia

つまり、ヘルメットを被っているという安心感から、より速度を上げるとか、交通違反を犯すなどよりリスクが高い行動を取り出すというのが、ヘルメットのリスク補償という考えです。
安心感はリスクが高い行動を誘発するという考え方とも言えます。

 

これについては、その仮説が証明されたとは言えません。
ウィキペディアにもこの話は書いてあります。

1990〜1999年に発生した交通事故を対象としたスペインの研究では、事故に遭った自転車利用者のうち、ヘルメットを着用していた人は非着用者より交通違反率が低く、事故時の速度違反については差が無かった。

 

ヘルメット (自転車) - Wikipedia

 

ヘルメット被っている人のほうが、交通違反が少なかったという結果です。
これについて考察すると、ヘルメットという安心感がリスクの高い行動を誘発するのではなく、むしろヘルメットを被るくらい安全意識が高い人なんだという見方も成り立つ。

 

ある実験研究では、ヘルメット着用に慣れている大人はヘルメットを脱ぐと自転車の速度を抑えるが、普段はヘルメットを被らない自転車利用者の場合、ヘルメット着用の有無で自転車の速度は変わらなかった。障害物コースを自分の足で走る子供を対象にした別の実験研究では、子供は安全装備(ヘルメットを含む)を着けている時はより速く、よりリスクを取ることが分かった。

 

ヘルメット (自転車) - Wikipedia

大人と子供で結果が異なるという見方も出来ます。

 

実際のところ、仮説が証明されているとは言えない状態。
私の考えでは、限定的にはありうると思ってまして、書いてあるように普段ヘルメットを被っている人が被らずに乗ると速度を抑える可能性はあるけど、そのうち慣れてきていつも通りになるのではないかと。
これは特に根拠がない私見です。

 

ヘルメットを被っているほうが交通違反率が少ないというのは、実生活でも感じることです。
前にタクシーの運転手に聞いたのですが、

 

いろんな人
いろんな人
ヘルメット被っているロードバイクの人たちはマナーよく走っているように感じるけど、ノーヘルのロードバイクは動きが読みづらいし、信号無視とかする印象がある。

 

これも研究結果ではなく、タクシー運転手の私見です。
まあ、ヘルメット被っている自転車乗りのほうが信号を守っている印象は実生活でも感じます(私見)。

 

実際のところプロロードレースで、ヘルメット被っている時代と、ノーヘル時代で速度が違うのか?という疑問もありますが、自転車自体も進化しているため、単純な比較は出来ません。

 

まあ、このリスク補償理論では、

安心感⇒速度アップで危険に繋がる

こういう理論だということです。

矛盾

ヘルメットのリスク補償を信じて啓蒙している人がいたとします。
つまり、ヘルメットによる安心感が、より速度を高めて危険な走行をしだすという考え方ですね。
仮にその人が、【足がベタっとつく自転車は安心で、安心は安全に繋がる】という説を主張したとします。

 

あれ??おかしいですよね??
安心からリスク補償になり、速度が上がってむしろ危険になるんじゃないの??と疑問が生じます。
ヘルメットの安心感はむしろ危険になるのに、自転車の安心感はそのまま安全になるという矛盾。

 

リスク補償論を信じるなら、むしろ安心感を削ぐような自転車のほうが、リスク補償の考えから、むしろ速度を落として安全に走ろうとするんじゃないのか?と。

 

リスク補償論を逆説的に見るならば、ママチャリよりもサドル高が高いロードバイクに乗ると、より慎重に、速度を落として乗ることになりますが、実態としてそんなわけはない。
そう考えていくと、可能性としては二つあると思うんです。

 

①リスク補償論自体がかなり限定的にしか起こらない・もしくはそんなものはない。
②足がベタっとつく自転車=安心、という図式が間違っている

 

私のロードですが、ペダルを一番下にすると、地面との距離は10センチくらい。

10センチくらいというと、一般的な階段の一段よりもはるかに小さい。
歩道と車道の高さの差が5センチとなっているので、その倍程度の距離と言えます。

 

不安定な自転車という要素が入ってくるものの、足がベタっとつく状態と、そこから10センチ程度上がった状態を比較したときに、上がっている状態を危険だと感じていない人のほうが多い可能性もある。
逆にいうならば、足がベタっとつくから安心と感じていない人が多い可能性とも言える。

 

もちろん、この安心・危険については、人による差が大きい。
一般的な運動感覚を持っている人なら、ロードバイクのように足が地面にベタっとつかない状態を危険だと感じていないのかと。
そうすると、足が付くことが安心だとも感じていない。

 

リスク補償論がそもそもあり得ないことなのかもしれないし、サドルに跨ったときに足が付くことが安心だと感じていない可能性もある。

 

当然ですが、自転車を覚えたての子供とか、運動機能が落ちてきた高齢者などは除く

 

足が付く=安心だと感じる人も当然いるとしても、極めて限定的なんじゃないかなと思うんです。
それでいて、リスク補償論もかなり限定的にしか起こらないのかと。

 

 

私自身はリスク補償については極めて限定的だと考えています。もしくはそんなものは無いに等しいか。

しかしながら、

・ヘルメットを被ると安心してリスク補償が起こり危険になる

・地面に足が付く自転車は安心だから安全だ

 

これだと、意見としては全く一貫性が無いと言えます。
とんでもない矛盾ですし、都合よく説を使い分けているとも取れますし。

 

こういう矛盾した主張をする人が仮にいたとして、なぜそうなるのかを考察すると、結局は芯となる考えが定まっていないのかなと思うわけです。
自分が不要だと思うことについてはリスク補償論を重視する。
自分が押していきたいことについては、リスク補償論を否定する。

 

私にとって、ロードバイクのヘルメット理論は単純です。

 

管理人
管理人
万が一頭を地面に叩きつけた場合、ノーヘルとヘルメット着用、どっちがいいですか?

 

ヘルメットに100%の安心感なんて持っていません。
ヘルメット着用していても、死んだ人なんて普通にいる。
これはロードバイクに限らず、競輪だろうとオートバイだろうと原付だろうと同じ。
安全性を高めるためのツールの一つに過ぎないと考えてます。

 

どんなにうまい受け身が取れる人でも、絶対に頭部を打ちつけないという保証もない。
事故らないように気をつけて走っても、事故を100%防ぐことは不可能。

デイライトして自転車の存在をアピールすることも安全性を高めるツールの一つ。
ミラーをつけて後方視野を確保するのも一つ。
自分がコントロールできる範囲の速度で走るのも一つ。

 

そういう安全性を高めるツールの一つとして、万が一のためにヘルメットを被ります。
一つ一つの小さなものの組み合わせで、安全性を高めるものだと思っているので。
間違っても、

管理人
管理人
ヘルメット被っているから安全だぜ!!無敵だぜ俺!!

みたいな考えにはなりません。
もしヘルメットを被っただけでマリオのスター状態だと考える人がいたら、それは本物のバカです。
残念ながら救いようがありません。

 

ウィキペディアの自転車ヘルメットのページを見る限り、ヘルメット被りたくない人たちの言い訳大会の会場なのかなと思うんです。
法律上はヘルメットは義務ではないので、被りたくないなら被らなければいい。

 

ヘルメット否定派の理由がシンプルに、

 

いろんな人
いろんな人
被りたくないから被らない。

 

理由がコレだったら、納得するしかありません。
理由が【被りたくない】なら、しょうがないですし。
被らない理由として謎の理論を使うからツッコミどころ満載になるだけなのかと。

 

リスク補償論を押すなら、足つきがいい自転車は安心感から速度を出すようになり、むしろ危険となるはず。
まあ私はリスク補償論を信用してないので、どっちでもいいんですけどね。

 

時と場合で矛盾した理論を使うのも、いかがなものかと思うわけです。

 

ほとんどのロード乗りはヘルメットを着用していると言えますが、データが示すように、ヘルメット着用者のほうが交通違反率が低い。
そこまで加味して考えると、単に安全意識が高いからヘルメットを被っているだけであって、安全意識が高いから交通ルールを順守する。
なのでリスク補償なんて起こらないか、極めて限定的だろうと言えるわけです。

 

安全意識が高いからヘルメットを被っているというよりも、自分の努力では防げない怪我が起こりうる可能性を知っているから、というほうがより正確かも。
絶対に頭部を打ちつけないなんて保証が無いことを知っているわけで、それこそ後ろから車が突っ込んできて、受け身を取れるという人がいたらそれはオカルトの世界です。

誰でもあるとは思うのですが

矛盾なんて誰でも探せばあると思います。

 

昨年までやっていた行政訴訟。
こちらは国が発令した重要な通達を証拠として提出してますが、相手方の反論は、

 

読者様
読者様
通達は単なる行政通知に過ぎず、法的拘束力がないから従う必要が無い。

 

これ自体は間違いとも言えないのですが、その一方で、相手方は国からの通達を証拠として大量に提出してましたw
おいおい、お前が出している通達は法的拘束力がないから従う必要が無いんじゃないの??と矛盾が生じる。
それで裁判官が信用するわけもなく、普通に勝訴してます。
行政訴訟は絶対に勝てないというのが定説ですが(統計上の原告勝訴率は10%以下)、弁護士も立ててないド素人でも余裕の勝訴。

 

こういうのって、自己矛盾に気が付いているけど、ゴリ押しするしかないのか?
それとも自己矛盾に気が付いていないのか?
よくわかりませんが、時と場合で主張の根拠を変えると、やっぱり厳しくなる。

 

アフィリエイトサイトを否定している人が、自分のブログにはアフィリエイトリンクを貼っているというのは矛盾になる。
他人が間違った場合、訂正では許されないと主張する人が仮にいたら、その人は自分が間違うことも当然許されないと解される。
自分は間違ってもいいんだなんて言い出したら、主張に矛盾が生じますし。

 

気が付いたうえでゴリ押ししているのか、気が付いていないのかすら不明ですが、自己矛盾って世の中には結構あります。
当サイトも探せば何かあるでしょうけど、この手の話で信用を落としたくないので、気をつけているポイントの一つでもあります。

 

自分が貫けなそうなことも、イチイチ主張しません。
もう見ません⇒やっぱり見ようとか、聞いても無駄だ!⇒聞いてみました(ドヤ顔)とか、短期間に意思を変えるのも信用を落とすポイントだと思っているので、無意味な主張はしないというか。

被ったほうが

 

ロードバイクのヘルメットについて、100%の信頼・信用を置いているローディーっていますかね??
もしいたとしたら、ホンモノのアホだと思うんです。

 

ヘルメットを被っていても、死ぬときは死ぬ。
ヘルメット被っていれば、頭を打ち付けたときに多少の保護になってくれるかもしれない程度の話。

 

競輪でもオートバイでも、ヘルメットを被っていて死ぬ人もいるわけで、そもそもの話では絶対的に信用するものではない。

 

その程度の話だと思うんですね。
だからこそ被る。
ヘルメットを被るだけで安全性が達成できると思っているアホが世の中にいるとは思いませんが、安全性を高めるツールの一つにはなりうる存在。

 

どうしても被りたくない人がいるなら、被らなければいい。
だけど自分が親しくしている人がヘルメット着用を嫌がるなら、全力で説得します。

 

世の中にはいろんな矛盾があると思います。
私なりに思うのですが、分からないことについて分からないとせずに、無理に答えを出そうとするからおかしくなることもあるんじゃないかと思ってまして。

 

例えば先日も書いた、気づきベルの件。

 

気づきベルは悪なのか?という話。
私自身は好きではないのですが、気づきベルを付けて走っているロードバイクは時々います。 これは前にも少し触れています。 自分自身はさほど好きではないですが、これ自体が違法と言えるものでもないですし、あとは人により考え方の差は出るのかなと。 気...

 

これの良し悪しについて、私の中ではいまだに明確な答えを持っていません。
いい面もあるし、悪い面もある。
法的にどうなんだ?というところでも、確実に合法ともいえないし、確実に違法とも判断し難い。

 

グレーゾーンに存在していると思っていて、気づきベルの善悪については、わかりませんし、無理に答えを出す必要も無いのかなと。
熟考して、現状の考え方はコレ。

 

管理人
管理人
わかりません。

 

気づきベル賛成派 気づきベル反対派
いい面 自転車の存在を歩行者に知らせることが出来る(車のエンジン音に該当) 本来、歩行者の安全確保は、自転車が徐行・減速・停止・声掛けなどをすれば事足りる
悪い面 警音器を歩行者に向けたと捉えられてしまう恐れもあり(威嚇行動)、トラブル誘発のリスク 歩行者的には、無音で近づいてくる自転車よりも、何らかの音が鳴っているほうが安心と考える人もいるかもしれない。

無音で自転車が来ると恐いと思う人もいるかも。

なんかどっちもどっちというか、歩行者目線で考えた場合に、どっちがより歩行者のためになっているのかよくわからないというのが私の今の考え。

 

ちなみにこういう意見も頂きました。

 

読者様
読者様
以前は歩行者がいる時は、通りますと声掛けしていましたが、コロナ禍で声掛けするのはあまり良くないと思い、気付きベルを付けるようになりました。

 

時代、ですかね。
これも歩行者目線で考えると、知らない人から声を掛けられたくないと思う人が時代的にいると思うので、そういう人にとってはいいこと。
ベルと勘違いして、威嚇行動と捉える人もいるかもしれません。

 

なので気づきベルについては、正直なところ付ける・付けないのどっちが正解なのか私にはよくわかりません。
歩行者の捉え方次第なのかなと思う面もありますが、全歩行者に聞いて回るわけには行きませんし。
相手次第という面ではゴムの話と似ている・・・と書いたら怒られそう。

 

何でもかんでも理由をつけて答えを出そうとするよりも、わからないことについては分からないでいいんじゃないかと思ったりします。
無理に理由を付けると、どこかで矛盾する可能性は出てくるし。

 

ヘルメットについてはもっとシンプルでいいと思うんですね。
ノーヘルとヘルメット着用、もし頭部を打ち付けるなら、どっちがいいですか?

 

絶対に頭部を打ち付けないなんて保証もないし、自分が気をつけていても、アホな後続車が突っ込んできて事故になることもある。
いきなり後ろから突っ込まれて、受身の上手さとか関係ないですし。
その確率ガーとか言い出しても、絶対に自分に起こらないなんて保証もないし。

 

無理に理由を付けるから、矛盾が生じてしまい、懐疑的に見られるだけなんじゃないのか?と思ってます。
たいして考えもせずに分かりませんと答えるのは無しとして、考えに考え抜いた先には、分からないという答えもあってもいい。

 

全くの他人については、ヘルメット被りたくないというなら、それはそれ。
そこに謎の言い訳を付けるから、矛盾が生じるだけだと思ってます。
付けないほうが気持ちいいからつけませんとかいうのは、相手の承諾を得てからにしろよと思いますが。




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