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全部自己責任。

いくつか自転車が関わる事故について判例を紹介してますが、

堅苦しい話が続いていますが、一つの参考になるかと思いまして。 自転車の場合、道路交通法27条の【追いつかれた車両の義務】は適用...

たまたま検索してヒットした記事なんですが、ちょっとこれはいかがなものかと思うところがありまして。 まあ、気持ちは分からないでもないですが。...

ちょっと前に取り上げた件。 この記事で取り上げたブログさん、ほかにも判例について解説(?)をしているようなので...

もちろん、ロードバイクに乗る人間として、事故を回避することを念頭に置いて乗ることは当然の義務。
中にはわざと逆走自転車に衝突しにいくような人もいるらしいですが、それをして何のメリットがあるのか私には理解不能です。

上3つのうち、2番目と3番目については判例について論評をしたものについて、重大な認識不足があるなとしか言えませんが、基本裁判というのは自己責任なのです。

立証義務は自分にある

刑事事件であれば、犯罪事実を立証するのは警察や検察の仕事であって、立証できない場合は被告人の利益にという考えから有罪にすることは出来ません。
民事では全て立証義務は当事者にあるので、簡単にいえば第三者である裁判官がみて容易に理解できるように主張しなかったり、誤解を招きそうなポイントについてはきちんと主張する、主張に矛盾が無いか確認することなどを怠れば、有利な判決が下ることはないわけです。

理論上では、日本の裁判は3審制。
けど最高裁は憲法違反や法令解釈に重要な事項を含む場合など上告理由が限られているため、事実認定については争うことができない。
なので日本の司法は実質2審制と考えられています。
交通事故関係の判例を見ていると、多くは1審で終わっているのではないかと思われます。
控訴するにもタダではないですから。

裁判は裁判官を説得するような作業をするわけなので、理論整然と説明した人が勝ちます。

上で挙げたリンク先の方も根本的な民主主義の原則を理解していないから珍論を掲げるのかなと思うのですが、裁判では当事者が主張していないことを判決に加えることは出来ません。
当事者の一方が主張したことについて、相手方が認めるのか争うのかをはっきりさせる。
争うというのであれば適切な反論を行うことで攻撃防御する。

主張していないこと=反論もしていないことなので、裁判官が勝手に認定して判決に加えると、一方に不利になるだけのこと。
それは民主主義ではない。
裁判官が勝手に現場検証することも出来ません。

判例をみていると、明らかにおかしいと思うようなものもあります。
適切な主張と反論が出来ず、裁判官を納得させることが出来なかった結果なので自己責任。

まあ、トンデモ判決と呼ばれるようなものもあるので難しいところではありますが・・・

こちらの主張については1㎜も賛同できる余地が無いのですが、

しかし、現在の交通事故裁判がやっているのはその真逆です。
道路構造の欠陥を見逃す一方、その皺寄せを事故の当事者に押し付けている。
道路管理者は責められないのを良い事に、適当な仕事に胡座をかく。
これではいつまで経っても危険な道路構造は改善されません。

交通事故裁判は、事故の当事者間だけで行なうべきではありません。
たとえ原告が主張しなくても、事故の背景に関わる人間を
自動的に巻き込む形で行なうべきです。

事務処理が追い付かない?

そうやって改善努力を放棄してきた結果がこれだよ。

http://perfect-comes-from-perfect.blogspot.com/2013/06/3.html

日本は憲法で自由が認められているわけで、誰を訴えるのかも自由だし、誰を訴えないかも自由。
もちろん訴訟権の濫用に当たるようなことは許されないとしても、この方の主張では誰を訴えて誰を訴えないかという自由について制約をしろと主張しているのと同じ。

道路構造にやたらとこだわるようですが、権利者の自由を奪ってでもすべきことなんですかね。
そもそもどうやって立証するのかも不明ですが。
事故が起きたときに、道路構造の不備だとして行政を訴える権利も普通に保証されているので、行政が原因だなと思う人は行政を訴えればいいし、事故当事者が原因だと思えば事故当事者を訴えればいい。
それも含めて、自由ですから。
訴える相手を選べない、訴えるときに訴えたくない人がいても勝手に巻き込むことは自由の侵害なので、自由を奪う思想はさすがにいかがなものかと。

道路構造ばかり見て、周りが見えていなすぎるとしか言いようがない。

そもそもなぜ交通事故の後に民事訴訟が起こるのか?を考えればわかりそうなものですが、基本は損害賠償請求。
受けた損害についてカネを払ってほしいという要望です。
交通事故の場合、一般的には訴訟に至る前には当事者間(保険会社含む)で示談交渉があって、示談交渉が決裂した結果として裁判になる。

被害者としては、とりあえずお金を払ってもらえるならそれでいいわけですし、余計なものを巻き込めば巻き込むほど訴訟に費やす時間も労力も増える。
立証責任は当事者にあるので、道路管理者を巻き込んだ場合には事故と道路管理者の因果関係や不法行為を立証しないといけないわけで、とんでもなく労力を費やすだけな上に、弁護士費用も高額になる。

時間が掛かって立証も困難、弁護士費用も高額化する・・・被害者が早期に救われる可能性が減るわけで、誰にとってもメリットが無い。
本来救われるべき事故の被害者にメリットが無く、一部の道路構造主義者の自己満足でしかない。

ちなみにですが東京地裁には交通専門部という、交通事故専門の部署があります(民事27部)。
約7割は判決ではなく和解だそうです。
早期に争いを解決することも、事故被害者の救済になりますが、何のために裁判をしているのかという視点が欠如すると、自由を制限してまで道路管理者を自動的に巻き込むべきなどと言うトンデモ論が発生する。

ということで

判例は一般に公開されていますが、中身をみると不可解な判例もあるのが実情。
こちらでも書いたように、

ちょっと前に取り上げた件。 この記事で取り上げたブログさん、ほかにも判例について解説(?)をしているようなので...

最終的な結論、つまりは過失割合がどうというのは当事者にとっては大切でしょうけど、分析する上ではどのような主張をした結果その判決が導かれたのか?のほうが大切だと考えます。
この判例では、書籍でも何ヵ所かでこの判例の問題点について触れている個所がありますが、要は当事者が相手方の逆走(左側通行義務違反、交通法17条4項)について主張していないことが原因です。
裁判官が見逃したわけではなくて、主張がなかったので考慮できないだけのこと。

この方、やたらと「人を責めるな、仕組みを責めろ」を引用していますが、判例分析で使っている中で誤用しているとしか思えず。
行政が作り上げた仕組みが違法だというなら別ですが、仕組みの中で生活する以上は誰にでも注意義務が課されている。
それを理解していないのかな。

で、仮に事故に遭ったとして、訴訟を提起するのも自由だし、しないのも自由。
弁護士を立てるのも自由だし、立てないのも自由。
どんな主張をするかについても自由ですが、自由について自らが選択した行動の結果責任は、自分自身にしかありません。
主張に失敗して認められないというのも、自らが選んだ主張の結果なので自分自身に帰する。

例えばこちらでも取り上げたケース。

以前も取り上げたことがありますが、 ちなみにツイ消しされているようなので、ほかの方が残しているものがこちら。 ...

これ、仮にですが、タクシーが自転車を追い越す際に接触があって事故になったとします。
この道路は交差点手前以外は車両通行帯ではないし、タクシーが追越しするにあたって自転車がどんどん右寄りに移動している。

仮に自転車がタクシーに損害賠償請求の訴訟を提起したとして、

片側2車線の車両通行帯であるから、自転車は第1通行帯の中であればどの位置でも通行できる(20条1項)。
それに対し、タクシーは追越しするにあたってできる限り安全な速度と方法が求められているのだから、タクシーの注意義務違反であって原告には過失が無い。

こういう主張をしてきたとする。
このときに、Aの反論とBの反論では全く結果が変わる。

A
本件道路が車両通行帯であるということは認める。しかし車両通行帯であったとしても事故回避のために左側端を通行すべきであり、自転車にも一定の過失があるというべきである。
B
原告は本件道路を車両通行帯と主張するが、車両通行帯は公安委員会が指定した片側2車線道路を指すのであって、本件道路が車両通行帯であるとする証拠はない。
そのため自転車は、18条1項により左側端通行義務があるのにも関わらず自転車は義務違反を犯し、かつ、タクシーの追越しに伴い進路を右寄りに変更するなど、追越しに対する妨害を行ったものと捉えるべきである。交通の方法に関する教則においても、自転車は専用通行帯等の道路標識がある場合を除き左端に寄って通行するものとされているのだから注意義務違反は明白である。

Aの主張だと、自転車の通行位置は法的には問題ないけどマナーとかモラルの面で左側端通行すべきという主張に過ぎないけど、Bの主張であればそもそも自転車の通行位置が道交法違反だという主張になる。
争点が全然違うので、結果にも影響する。
裁判官が車両通行帯かどうか教えてくれるわけではないので、どんな反論をするかも自由。
その結果は自分自身に帰するだけのこと。
立証責任は当事者にあるので、裁判官は双方の主張と証拠を検討して、どちらの主張が正しいかを判断するだけのこと。
双方が車両通行帯だと認めているなら、実際に車両通行帯かどうかについては争いにならない。

判例を見ていても、片側3車線の車両通行帯(自称)だけど、歩道の中に自転車レーンがあるのだから歩道を通行して事故を回避する注意義務があった、けど車道を走って注意義務を怠った、と主張しているのがありました。
自転車の通行位置は第1車線の右寄りだった様子。
この主張をしたとしても、そもそも歩道を通行する義務が無いので正直苦しい。
主張すべきことがあるとすれば、車両通行帯ではないのに左側端通行していなかったことになるべきで、主張が違うだけで結果も変わる。
けど適切な主張を出来るかどうかも含めて自己責任。

おかしな主張をしたり、不適切な主張をしたり、本来追求すべきことをすっ飛ばした主張をするのも自由ですが、結果については自分自身の責任でしかないので、ある程度は勉強しておかないと何かあったときには自分自身が困るというだけのことです。
勉強するのも自由だし、しないのも自由。

ついでにですが

先日書いた記事について。

ちょっと前に取り上げた件。 この記事で取り上げたブログさん、ほかにも判例について解説(?)をしているようなので...

読者様
読者様
ブログの人が書いているように、支柱の手前にあるポケットのような膨らみに退避すべきだったという主張はどうなんですか?

ここですよね。

これ、当事者の主張を見る限りでは、そこを追及してもあまり意味が無いように感じます。
というのもこの件、衝突するまでの経緯については双方で言い分が全く違う。
順走ドロップハンドル車の主張はコレ。

逆走ママチャリの主張はこれ。

衝突に至るまでの経路が、まるで違う主張になっている。

つまり逆走側の主張としては、ドロップハンドル車は歩道を走っていて突如車道に降りてきたという主張ですよね。
けどドロップハンドル車は、ずっと車道を通行していたと主張している。

なのでもし私が逆走自転車の過失を主張するとしたら、

被告は、原告が車道を走っていたのか歩道を走っていたのかも十分な確認をしないまま、車道を通行していた原告を歩道上にいると誤認し、漠然と斜め横断をした上に、逆走を開始するという重大な過失がある。車道を走っている自転車が迫っているにも関わらず斜め横断することは25条の2第1項の違反であって正常な交通を妨害しているし、右側通行は車両運転者にとって絶対的に許されない危険行為である。本件事故は被告が十分な安全確認を怠ったことにある。

逆走自転車の主張が、歩道から車道に来たとなっているので、そんなことも十分確認しないまま安易に斜め横断なんかしたのは重過失と主張したほうがいいんじゃないですかね。
ただし原告としてはそもそも被告の斜め横断に気が付いていなかった事情があるわけなので、被告の主張に対する反論としてしかできない。
裁判官に、逆走自転車は全然周囲の状況を確認していないような無法者だとアピールしたほうが効果的なんじゃないかと思う。
ポケットに退避できたはずという主張をしても、被告の主張はそもそも原告車が歩道にいたとなっているので、あんまり意味を成さないような気がします。
けど逆走とはいえ、先に停止して事故回避義務を果たした逆走車のほうが基本強いと思うので、原告側が有利になりそうな気配はないかも。

こういうのも含めて、何を主張するかで結果が変わり得るので、裁判は自己責任。
主張に失敗しても自己責任でしかない。