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お辞儀。

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横断歩道のお辞儀がどうのこうのという話題がありましたが、それとは特に関係ないお辞儀の話。

何に対して?

民事訴訟って、口頭弁論のときは礼に始まり礼に終わります。
もはや記憶が定かではないけど、確か一審の第1回口頭弁論のときには、裁判官が入廷した時に書記官が「ご起立ください」とアナウンスしていたような記憶があります。
まあ、第1回口頭弁論のときは原告の私(ド素人)と、被告側は代理人弁護士が用事で不在(行政側の指定代理人=行政職員は7人くらいいた)という「ド素人同士の集い」だったからかもしれません。

 

あの礼は、そもそも何に対してなんだろう?と考えてしまいまして。

 

法廷という「場所」に対する礼なのか?
裁判官という「人」に対する礼なのか?
被告という「人」に対する礼なのか?

 

たぶん「全部」なんでしょうけど、いかにも日本的な慣習だと思いまして。
もちろんですが、こんな質問をした日には

管理人
管理人
この礼は義務ですか?
任意ですか?

なんかメンドクセー奴が来たなと思われるだけなので、流れに従うのが正解。

 

裁判関係の報道を見ていると、原告に意見陳述の場が設けられているものもあるみたいだけど、私のときは一度もなく。
法廷では裁判長から聞かれる「原告は第1準備書面を陳述しますか」に対し「はい」と返事だけして、たまに裁判長から「次回は○×について書いてください」とか「△のところは、こういう意味で間違いないですか?」くらいしかなく。

 

礼⇒返事⇒礼、解散という謎セレモニーを9回もやっただけ。
長くても10分弱、早いときはたぶん3分ぐらいです。
東京高裁のときは、双方に控訴状、答弁書を陳述するか聞いて、裁判長が突如クワッと目を見開いて「結審します!」と宣言。
判決言い渡し日の指定と、こういう時代だし無理に判決聞きに来なくていいからと言われ解散。
たぶん4分ぐらいですかね。

 

礼と返事だけする謎の場所でした笑

 

ちなみに横断歩道でのお辞儀というのは、あれはドライバーに向けているという意味ですよね?
まさか「横断歩道の存在」に対して感謝しているわけじゃないと思うけど。
正直なところ、したい人はすればいいし、したくない人はしなければいいとしか思っていない。
お辞儀すると視線が落ちて安全確認が疎かになるからすべきではない・・・みたいな意見もあるらしいけど、安全確認は車両側の責務なので若干こじつけ感は否めない。

 

「礼をすべきではない」という考え方についても、他人の行動に制限をかける権限もないし。

法律を守る義務

道路交通法の歴史を見ていくと、横断歩道を横断しようとする歩行者に対して一時停止義務を定めたのは、昭和38年道路交通法改正です。

 

昭和35年時はこれ。

(運転者の遵守事項)
第七十一条
三 歩行者が横断歩道を通行しているときは、一時停止し、又は徐行して、その通行を妨げないようにすること。

一時停止か徐行の二者択一。
昭和38年からこれ。

三 歩行者が横断歩道により道路の左側部分(当該道路が一方通行となつているときは、当該道路)を横断し、又は横断しようとしているときは、当該横断歩道の直前で一時停止し、かつ、その通行を妨げないようにすること。

昭和38年当時の国会議事録を見ると、ややブーイングに近いような意見すら出ている。

○太田委員 今度改正になりましたこれは、歩行者が道路の左側の横断歩道を通行し、または通行しようとしているときは、車両等の運転手は横断歩道の直前で一時停止し、歩行者の通行を妨げてはならないこととする、このことを具体的にあなたちょっと説明して下さい、どういう状態を言うのですか。

 

○冨永政府委員 今までの現行法規で申し上げますと、これは単路の場合、単路といいますと、交差点じゃない途中の横断歩道でございますが、その場合には一時停止または徐行して歩行者の通行を妨げてはならないというふうになっておるわけでございます。今度の改正案では、横断歩道全部といっても、これはなかなか実情は無理でございますので、横断歩道の中央部分から左の方、つまり自動車からいいますと進行方向になりますが、その横断歩道上に歩行者がおり、また通行しようとしておる場合においては、横断歩道の直前、今までは場所がはっきりしていなかったわけです。「一時停止し、又は徐行」であったのを必ず「横断歩道の直前で一時停止」する、徐行はいけない。一時停止をして、それから通行を妨げないようにしなければいけないというふうにして歩行者の保護をはかる。これはただし横断歩道上だけのことであります。ですから、横断歩道のまん中から向こう側の部分のときには、これは差しつかえないわけです。横断歩道の中央から左というふうに限定いたして、その場合には横断歩道の直前で一時停止というふうにいたしておるのでございます。

 

○太田委員 だから、自動車を運転していく場合、横断歩道があるでしょう。その横断歩道のこちら側の端くれに立っておる人があるとする、それは歩道でも何でもないですよ、普通の、車道も歩道も区別のないところだとすると、そこに立っておる人がある限り自動車は全部とまらなければいけませんね。いわゆる通行しようとしているとき、それは一々聞くわけにいかないでしょう。現象的にその地帯に立っておる人があれは、横断するものとみなしてとまらなければならないということですか。人を待つ場合には、横断歩道の地帯と目されるところに立つべからずというようなものが一つ要るような形になってきますね。横断しようとしておるというのは何ですか、科学的に見て、くつの先が横断歩道に触れつつあるということですか、触れる直前まではいいのですか、最後になると、警察官はその辺のことを言いますよ。具体的にここのところを御説明下さい。

 

○冨永政府委員 そこで横断しようとしているというのは、やはり挙措、動作等前後の事情から判断して、横断しようとしていることがはっきりしている場合でございますので、ただ立っておって、通行しようとしておるかどうかわからぬときには、これは除外されるのでございます。

 

○太田委員 だから、横断歩道の方に向かってくつの先がついていたならばどうですか、それは何で判断するのですか。

 

○冨永政府委員 やはり通行しようとする動作が形に出まして、たとえば左足が一歩出ておるとか、外見から見まして明らかに通行しようというある意味の動作が出ておる場合に限るのでございます。

 

○太田委員 これには罰則はありませんね。

 

○冨永政府委員 ございます。

 

○太田委員 幾らですか。

 

○冨永政府委員 三万円以下の罰金です。

 

○太田委員 まさかこれによって交通安全制度をつくる財源を確保しようなんというねらいじゃないでしょうね。これは大へんなことなんですよ、人命尊重もさることながら。どうなんですか。これを厳格に実施して三万円以下の罰金なんということにするのも、どうも実情に合わないですね。これは、あなたの方がはっきりしておる証拠がなければ横断しようとしておるとみなさないということですから、立って貧乏ゆすりをしておる程度はだめなんだとわれわれは、思っておりますからいいですけれども、警察官によっては何言うかわからないですよ。
この前のとき私が提案しましたことですが、各地にだいぶ実現できてきた踏み切り、鉄道の踏み切りであって交通ひんぱんならざるところは、線路の方に遮断機をつけて、一たん停止を解除するということを申したことがあって、非常にいいことという賛同をいただいたのです。これが各地にちょいちょいできてきたようです。そこで、どれくらいそういう踏み切りができたか、そして一たん停止が解除されて、交通円滑になった場所がどれくらいあるかという何か資料、統計ございますか。

 

第43回国会 衆議院 地方行政委員会 第16号 昭和38年3月15日

なんかビミョーに不満そうなやり取りしてるなと感じるのですが、令和になっても似たようなレベルの話が出ている気がしてまして。
罰金を設けたことについて「実情にあわない」と言ってますが。
いつの時代も文句を言いたい人はいますが、「厳格に実施するのは実情に合わない」程度の思考の人が今の時代でも健在なのかもしれません。

 

「科学的にみて」のくだりについてはもはや意味不明としか。
横断しようとしている人を見分けるのは科学なんですかね。

 

どうでもいい話ですが、野球部あるある。
グラウンドに礼をします。

 

グラウンドに人格があるのかはわかりません。
テキトーなプレイをすると「グラウンドに失礼だ!謝れ!」と言われた記憶があります。
グラウンドさんは私の謝罪を受け入れてくれたのかは最後までわかりませんでしたが、あの時、気を抜いたプレイをして申し訳ありませんでした笑。
ちなみに外国人からすると、グラウンドに礼をする習慣がないため意味がわからないらしい。
文化風習の違いだろうけど、人格を持たない物体に感謝するという価値観がないところもあるから、そりゃわからないだろうし。

 

横断歩道の存在自体や、信号機の存在自体に感謝して礼をする人がいるのかはよくわかりませんが、仮にそういう人がいたとしてもその人の心情的な面を否定する権利もないので、好きにすればよい。

 

何年か前の話ですが、ある宗教の勧誘のオバサンが「東日本大震災は、皆が○×を唱えなかったから起きた」と言ってました。
私の義理の妹は津波により実家が流されてます。
「○×を唱えていれば、義理の妹の実家は無事だったわけですか?」と聞いてみたら、笑顔で「もちろんです」と答えてました。
この領域に達すると常識とか感情とかを越えた世界なんだろうなと呆れましたし、この領域に達したくはないなとすら思ってしまう。
けどこの人の信仰や思想に介入する権限もないし、関わらないし関わりたくないとしか思わず。

 

世の中いろんな人がいるなと思うけど、感謝の意思を表明したいなら好きにすればいいし、したくないからしなければいいし。
それ以上でもそれ以下でもない。

 


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