PVアクセスランキング にほんブログ村

故意と過失の逆転。

ある書籍を読んでいて、へー、と思ったこと。

故意と過失の捻れ

道路交通法って、ほとんどの条文は故意犯のみを処罰する規定になっています。
これは刑法の基本。
38条(横断歩行者等妨害)や70条(安全運転義務)などは過失犯も処罰する規定になっている。

一般的には故意のほうが罪が重い。

ところで、過失犯の処罰規定がない条文でも、70条過失犯の構成要件を満たすなら70条違反にできることが最高裁昭和48年4月19日判決によって確定してます。

 つぎに、同法七〇条の安全運転義務違反の罪(ことに同条後段違反の罪)と他の各条の義務違反の罪とは、構成要件の規定の仕方を異にしているのであつて、他の各条の義務違反の罪の構成要件に該当する行為が、直ちに同法七〇条後段の安全運転義務違反の罪の構成要件に該当するわけではない。同法七〇条後段の安全運転義務違反の罪が成立するためには、具体的な道路、交通および当該車両等の状況において、他人に危害を及ぼす客観的な危険のある速度または方法で運転することを要するのである。したがつて、他の各条の義務違反の罪の過失犯自体が処罰されないことから、直ちに、これらの罪の過失犯たる内容をもつ行為のうち同法七〇条後段の安全運転義務違反の過失犯の構成要件を充たすものについて、それが同法七〇条後段の安全運転義務違反の過失犯としても処罰されないということはできないのである。
これを本件についてみるに、道路交通法(昭和四六年法律第九八号による改正前のもの)二五条の二第一項の「車両は、歩行者又は他の車両等の正常な交通を妨害するおそれがあるときは、後退してはならない。」との規定の過失犯たる内容をもつ行為は、直ちに道路交通法七〇条後段の安全運転義務違反の過失犯の構成要件を充たすものではなく、具体的な道路、交通および当該車両等の状況において、他人に危害を及ぼす客観的な危険のある速度または方法による運転だけがこれに該当するのであるから、道路交通法(昭和四六年法律第九八号による改正前のもの)二五条の二第一項違反の過失犯が処罰されていないことから、その過失犯たる内容をもつ行為のうち道路交通法七〇条後段の安全運転義務違反の過失犯の構成要件を充たすものについて、同法七〇条後段違反の過失犯として処罰できないとはいえないのである。
そうすると、道路交通法(昭和四六年法律第九八号による改正前のもの)二五条の二第一項違反の過失犯たる内容をもつ被告人の本件後退行為につき、道路交通法七〇条後段の安全運転義務違反の過失犯処罰の規定の適用がないとする理由はなく、かえつて、同法七〇条の安全運転義務が、同法の他の各条に定められている運転者の具体的個別的義務を補充する趣旨で設けられていることから考えると、他の各条の義務違反の罪のうち過失犯処罰の規定を欠く罪の過失犯たる内容を有する行為についても、同法七〇条の安全運転義務違反の過失犯の構成要件を充たすかぎり、その処罰規定(同法一一九条二項、一項九号)が適用されるものと解するのが相当である。

最高裁判所第一小法廷 昭和48年4月19日

例えば37条(左折直進車優先)は故意犯の処罰規定しかない(120条1項2号)。
仮に安全運転義務違反の過失犯になるなら、罰則の重さが逆転する。

37条違反70条違反過失
条文120条1項2号119条2項
罰則5万以下の罰金10万以下の罰金

故意よりも過失のほうが重くなる。
恋よりも過失のほうが重いというのは、本気よりも遊びのほうがタチが悪いということか(?)。

古い判例ですが、まだ反則金制度ができる前の判例。
37条1項違反(現行37条に相当)で起訴したものの、過失犯として起訴しているとして公訴棄却になったものがあります。

道路交通法は特別刑法なので、刑法38条の規定により過失犯についての特別規定がない場合には故意犯しか処罰できない仕組みになっています。 第3...

起訴状には公訴事実として「被告人は昭和(略)、軽四輪自動車を運転し函館市(略)交差点において昭和橋方向に右折しようとした際、前方約32mの地点に対向する小型四輪乗用車を認めたが、同車の速度を確認し右折に充分な間隔の有無を確認するなどしないまま漫然右折したため、直進する同車に自車の左前部を接触させ、もつて同車の進行を妨げたものである。」と記載されていて、通常過失犯に用いられる表現方法をとつているから、過失によつて直進車の進行を妨げた事実を起訴していることが一見して明らかである。この点につき当審検察官は「起訴状の漫然なる字句は、過失を意味するものではない。」旨釈明しているが、起訴状の記載は単に漫然右折したというのではなく、「同車の速度を確認し右折に充分な間隔の有無を確認するなどしないまま漫然右折した」というのであって、漫然なる字句が速度の確認や間隔の有無の確認等に十分注意しなければならない義務があるにも拘らず、その注意が散慢であつて右注意義務を懈怠した意に解せられる点、被告人の司法警察員に対する供述調書には「私が右折ですから注意すればよかつたので、今後は十分注意します。」とあり、検察官事務取扱検察事務官に対する供述調書には「当時降雪のため前方が見憎くかつたのですから、相手の車の前照灯を見たときにもう少し注意してその速度をよく見て絶対に安全だという程度の注視をすれば或はこの時相手車に接触する危険を事前に察知することが出来、右折を待つたかも知れません。その点相手の車の速度を確めないで右折しようとした点は私の不注意だつたと思います。」とあつて、これらの記載からみると、司法警察員及び検察事務官が過失犯として被告人を取調べたことが明らかであるし、原審検察官が「被告人は対向車の過失が原因となつて衝突するに至つたと極力主張するけれども、現認警察官及び対向車の運転者の各証言を総合して判断すると、対向車が10m位の距離に接近してから右折を開始し、しかも徐行しなかつたということであるから、被告人の過失は明らかである。」旨論告している点を総合すれば、原審検察官が本件を過失犯として起訴しその旨の論告をしていることが明らかであつて

(中略)

原判決には、不法に公訴を受理し、かつ法令の適用を誤つた違法がある。原判決はこの点において破棄を免れない。

札幌高裁函館支部 昭和38年7月18日

刑法ってなんだかわかりづらいですが、秘密の恋と未必の故意は似ているけど違うし、けど危険度で言うなら秘密の恋のほうが危ないような気もするし。
未必の故意と認識ある過失も違う。

けど、右折車は対向直進車を現認しているなら、故意で扱えるはずなので、この判例は単に公訴提起の方法を間違えただけかも。
対向直進車を現認してない=前方不注視とも言えるので、前方不注視のまま右折するほうが罪が重いと捉えれば理解しやすい。

ちゃんと未来を見据えないまま秘密の恋を進行させれば、いつか痛い目に遭うのは当然のこと。
どうせバレたり、後始末に失敗して痛い目に遭うだけ。
心にブレーキを掛けられない奴はダメな奴なんだと言ってました。

ちなみに38条に過失犯の処罰規定ができたのは昭和46年。
「いやー、歩行者がいたことに気がつきませんでしたよ!」という言い訳マンが横行した結果だとされてます。
歩行者保護強化のため38条過失の処罰規定を新設したとありますが、令和の時代になってからも言い訳マンが多い現状をみると、まだまだ昭和マインドの奴らが多いとも取れるし、言い訳こそが人間の本質なのかもしれません。

秘密の恋は家庭を破壊する重罪ですし、遊びよりもホンキのほうがタチが悪いです。
素直に受け止めることと、バレてから開き直ることもだいぶ差があります。