PVアクセスランキング にほんブログ村 当サイトはAmazonアソシエイト等各種アフィリエイトプログラムに参加しています。
スポンサーリンク

差別と区別の違い。

スポンサーリンク

非常にデリケートな話題なので、安易に書くべきではない問題なのかもしれませんが、ちょっと思うことがあったので。

 

近年、LGBTの話題を耳にすることが増えたように感じます。
LGBTとは、

LGBTとは、Lesbian(レズビアン、女性同性愛者)、Gay(ゲイ、男性同性愛者)、Bisexual(バイセクシュアル、両性愛者)、Transgender(トランスジェンダー、性別越境者)の頭文字をとった単語で、セクシュアル・マイノリティ(性的少数者)の総称

となるわけです。

差別と区別

私個人としてはこの話題について、正直なところ特に感想も感情もありません。
好きにすればいい・・・というか、基本的人権の尊重ですのでその人の好きにすればいいだけの話としか思っておらず。
というよりも知人の中に、生物学的には女性ですが、男性として生きている人を知っているので、むしろ普通のこととして捉えています。
その方は法的には恐らく違うでしょうけど、男性のような名前を名乗ってます。

 

スポーツの世界では、私が知る限りほぼ全ての競技において、男女別に開催されているものと思います。
陸上でも男子・女子は別ですし、柔道でも男女が入り混じって試合をするということ自体がない。

 

ロードレースもそうですよね。
男子と女子を分けてレースを開催する。

 

これの理由ですが、主には男女間での運動能力の差、筋力の差などがあるので、男女を区別せずに【人間枠】で争うと女子に勝ち目が薄い競技が多いということ。
これって差別ではなく、生物学的な区別と言えます。

 

差別と区別の差ってそもそもなんでしょうか?
毎日新聞の解説記事では、このように書いてあります。

どちらにも「分ける」という意味があります。どんな違いがあるのでしょう。 「差別」は、「人やものの取り扱いに差をつけること」。他に比べて不当に低く扱うことを指します。

 

(中略)

一方の「区別」は、単に「違いによって分けること」です。

 

| 毎日新聞

白色人種と黄色人種について、単に区分するだけで平等に扱うなら【区別】になるけど、どちらかを下に見るために分けるならそれは【差別】になる。

 

この記事にはこのようなことも書いてあります。

ただし、「区別」する側に「差別」的な意図があれば、それは「差別」になりますし、「区別」された側が「差別」だと感じたら、それも「差別」です。

 

| 毎日新聞

男女別にレースを開催するのは、性別として生物学的な区別になると思います。
障害者と健常者を平等にみて分けるなら区別ですが、健常者が障害者を下に見るようなことがあればそれは差別になる。

 

要は感情的要素が入るかどうかだと思うんですね。
区別というのは生物学的な構造などからみて、客観的事実を分けるだけのもの。
差別となると、そこに感情的要素が加わる。

 

100万円のロードバイクと10万円のロードバイクをみて、値段だけの要素で分けるなら区別、感情的思考からバカにするようなことがあれば差別と言えるのかもしれません。

 

日本人と中国人を単に国籍の問題から分けるなら区別、下に見るようなことがあれば差別というところでしょうか。

スポーツの分野でのLGBT

スポーツの世界では、単に生物学的・構造的な問題から男女を区別して競技を開催してきました。
しかし近年、LGBTの方々のスポーツ参加という面では、どっちなんだ?という問題が生じます。
人体の構造として性別を区別するのか、それとも思考や感情により性別を区別すべきなのか?

 

この手の話についてあまり詳しくなかったので調べてみました。
国際的な競技の現場では、このような基準により区別されるようです。

IOC(国際オリンピック委員会)によるトランスジェンダー選手の参加規定(2019年12月現在)

 

次の要件を満たす必要がある
(1)性自認の宣言(宣言後4年間は変更不可)
(2)トランス女性(MtF)選手では
①出場前最低1年間、血中テストステロンレベルが10nml/l以下
②女子カテゴリーで競技を希望する期間中を通して血中テストステロンレベルが10nmol/l以下であること

 

https://www.japan-sports.or.jp/Portals/0/data/supoken/doc/lgbt_studyreports/JSPO_guidelines2_low_1P_200608.pdf

テストステロンは男性ホルモンで、男性の場合、約95%が睾丸(精巣)の中で、残る5%が副腎で合成されます。
テストステロンは筋肉量の増加を促す作用があり、男女の骨格の違いなどに影響を及ぼすものとされます。

 

女性でもテストステロンは副腎や卵巣から分泌されるのですが、血中テストステロン値は男性に比べて10分の1~20分の1程度の量とされます。
国際オリンピック委員会の指針は、ここが一つの目安となっているようです。

 

世界陸連ではこのようなルールを定めています。

WA(世界陸連)によるDSDs選手の参加規定
(2019年12月現在)

 

(1)6つの条件(①年齢、性別適合の医学的措置の②開始時期、③内容、④開始後の経過時間、⑤アンドロゲン・レベル、⑥措置後の対処とモニタリングの内容・期間・結果)について選手ごとに判断
(2)女子400mから1マイル(約1,600m)までの走種目に参加するDSDsの女性は血中テストステロンを6カ月以上継続して5nmol/l以下に抑制する

 

*DSDsの参加規定(2)の対象は性染色体「XY」を有する生来女性

 

https://www.japan-sports.or.jp/Portals/0/data/supoken/doc/lgbt_studyreports/JSPO_guidelines2_low_1P_200608.pdf

国際的な大会では、このような基準が設けられているわけです。
ただこの基準に異議を申し立てる人もいるようで、テストステロンで見るのはおかしい、テストステロンは筋肉量増大に著しい作用があるわけではない・・・など。

 

ただこの問題、本当に難しいところですが、どこかでは線を引かないといけない。
これが差別であってはならず、区別としての線引きである必要がある。

 

しかし、差別なのか区別なのかは、当人にとっては差別と感じてしまう場合も十分ありうる。
そんな中でもどこかで線引きすることは必要になってくるのが難しいところなのかもしれません。
全ての人間が納得できる線引きというのは、正直なところ実現不可能かもしれませんし。

 

当人の意思として、自らが持つ性自認のまま競技に参加できない可能性も出てくるわけで、そこで弾かれてしまった人がいたなら、差別と感じる場合もありうる。

アマチュアスポーツでは

ロードバイクに限っていうと、友人同士でロングライドするなどの場合、そもそも競技ではないので区別する必要性すらない。
しかしアマチュアレースとなった場合には、どうするんだ?という問題は当然生じる。

 

いわゆる草レースでは、誰もドーピング検査などもされませんし、血中テストステロン値のデータを求められることもない。
そうなった場合には、どうするんだ?という問題は当然生じてしまう。

 

これは運営側でも起こりうる問題でしょうし、当人も困るのかなと・・・

 

アマチュアスポーツの場合、参加資格という点では非常に難しい問題になってくるのかなと思うのですが、いろんな草レースの参加規程を見ても、特にこの問題に触れているようには思えない。

 

先ほどの日本スポーツ協会のガイドラインにはこのように記されています。

 私たちが生活する社会では、多くの場面で性別を男女に分ける性別二元制が採用されています。スポーツにおいて
も、ほとんどの競技では種目が「男子」と「女子」に分けられています。スポーツは、競争を伴う身体活動です。そのため、
性別によって競技の場を分けて公平性を確保してきました。スポーツにおける性別二元制は、競技のための当然の前提としてとらえられており、一般社会以上に強固なシステムとして存在しています。

 

しかし、人間の性をある基準で「男性」と「女性」に分けることは、実は、非常に困難なことなのです(不可能といってもよいかもしれません)。人間の性は実に多様であり、「100%の男性」「100%の女性」など存在しないともいえます。性を構成する要素も様々です。また、それぞれの要素の中でも、典型的ではない「あり方」の人たちがいます。本項では、性を構成する要素の中から「生物学的な性」「性自認」「性的指向」の3つを取り上げ、それぞれの中にも多様性があることを見ていきます。

 

https://www.japan-sports.or.jp/Portals/0/data/supoken/doc/lgbt_studyreports/JSPO_guidelines2_low_1P_200608.pdf

国際大会みたいな場所では、一定のルールの下で男性なのか女性なのかが区別される。
アマチュア大会、ロードバイクの草レースみたいな場面では、特に規定があるようには見えない。

 

そうすると、男性なのか女性なのかという枠組は、生物学的な性で捉えるのか、性自認によるものなのか、という問題が生じるでしょうし、それが原因で区別ではない差別が生まれる恐れもある。
また、一歩間違うと、レースでの結果に関わる恐れも出てくる。

 

実際のところ、事例がほとんど無いでしょうから運営側も想定外になってしまうケースは多いんでしょうけど、アマチュアレースでもこの問題は明確にしていかないと今後トラブルが起こりかねないのかなと考えてます。

 

難しいんですよね。
区別なのか、差別なのかは。

 

規定が細かくないようなアマチュアレースの場合に、男女の区別はIOCなどのルールを採用するなら、血中濃度の検査表などが必要になるが、アマチュアレースでそこまで求めるのかという問題が生じる。
生物学的な区分で見るのか、性自認により本人の自己申告に委ねるのか?

 

差別ってどっちにも起こりうる問題だと思ってまして、LGBTの人だけが差別の対象になるとは限らない。
例えば生物学的に男性であっても、性自認として女性の人が女性のレースに参加するとなると、生物学的に女性の人と能力差が生じかねないので、一種の差別となりうる。
かといって男性レースに参加することを強いるのも、本人にとっては差別と感じることにつながりかねない。

 

きちんと線引きしたほうがいいのでしょうけど、どうなんですかね。
アマチュアスポーツの現場では。

 

なお、私自身は冒頭でも書いているように、知人でそういう人がいるので、偏見など特にありません。
線引きすることは区別であって差別であってはならないのでしょうけど、全ての人間が納得できる線引きというのはどんな世界でも難しいわけで、どこかで妥協点は探らないといけないのでしょうけど。

 

区別が差別にならないように配慮しないといけないとは思いますが、全ての人間が納得できる合理的線引き自体が難しいケースもあるわけで。

 




 

コメント

タイトルとURLをコピーしました