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怪しげな信頼の原則。

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先日、被害者が赤信号無視していたことを見逃したまま右折車ドライバーを起訴していた件の報道がありましたが、

 

被害者の信号無視を見落として起訴!?それでも検察が起訴を取り消さない理由とは?
なかなか凄い報道が出てますが… 交差点を車で右折中に、対向車線を赤信号で直進してきたバイクとぶつかった事故で、車の運転者は罪に問われるのか――。車を運転していたナイジェリア国籍の男性(53)が自動車運転処罰法違反(過失致傷)などに問われた裁...

 

被害者が赤信号無視の場合でも、余裕で事故の回避が可能なのに事故った場合には有罪になったりします。
一例↓

本件は、被告人が深夜(略)普通乗用自動車を運転し、車道幅員約12mで片側一車線の歩車道の区別のある道路を時速約40キロメートルで走行中、本件交差点にさしかかり、青色信号に従い右交差点を直進しようとした際、酔余赤色信号を無視して交差点内中央付近を右から左へ横断歩行していた本件被害者2名を約13ないし14m先に初めて発見し制動措置をとることができないまま自車前部を両名に衝突させたことが明らかであり、これに反する証拠は存在しないところ、本件交差点出口南側横断歩道の左側に街路灯があるため、交差点手前の停止線から40m手前(本件衝突地点からは約51.4m)の地点から本件衝突地点付近に佇立する人物を視認できる状態にあり、しかも被害者の服装は、一名が白色上衣、白色ズボン、他の一名が白色ズボンであったから、被告人は通常の注意を払って前方を見ておけば、十分に被害者らを発見することができたと認められる。なるほど、被告人車の進路前方右側は左側に比べて若干暗くなっているけれども、(証拠等)によれば、被告人が最初に被害者らを発見した段階では、すでに被害者らは交差点中心よりも若干左側部分に入っており、しかも同人らは普通の速度で歩行していたと認められるから、前記見通し状況のもとで、被告人が本件の際被害者らを発見する以前に同人らを発見することは十分に可能であったと認められる。

 

そして、本件が発生したのは深夜であって、交通量も極めて少ない時間であったこと、本件事故時には被告人車に先行する車両や対向してくる車両もなかったし、本件道路が飲食店等の並ぶ商店街を通るものであること、その他前記本件道路状況等に徴すると、交通教育が相当社会に浸透しているとさいえ、未だ本件被害者のように酔余信号に違反して交差点内を横断歩行する行為に出る者が全くないものともいいがたく、したがって、本件において、被告人が本件交差点内に歩行者が存することを予見できなかったとはいえないし、また、車両運転者が歩行者に対し信号表示を看過して横断歩行することはないとまで信頼して走行することは未だ許されないというべきである。

 

東京高裁 昭和59年3月13日

要は「ちゃんと前を見ていれば止まれるでしょ」という案件です。

 

ところで、若干疑問に思う「信頼の原則」もあるにはあります。

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被告人の違反と信頼の原則

まずは事故の態様。

被告人は、原動機付自転車の運転業務に従事するものであるところ、昭和39年4月27日のいまだ灯火の必要がない午後6時25分ごろ、第一種原動機付自転車を運転して、京都市a区b通を南進し、幅員約10メートルの一直線で見通しがよく、他に往来する車両のない同区c上るd町e番地先路上において、進路の右側にある幅員約2メートルの小路にはいるため、センターラインより若干左側を、右折の合図をしながら時速約20キロメートルで南進し、右折を始めたが、その際、右後方を瞥見しただけで、安全を十分確認しなかつたため、被告人の右後方約15メートルないし17.5メートルを、第二種原動機付自転車を時速約60キロメトルないし70キロメートルの高速度で運転して南進し、被告人を追抜こうとしていたA(当時20年)を発見せず、危険はないものと軽信して右折し、センターラインを越えて斜めに約2メートル進行した地点で、同人をして、その自転車の左側を被告人の自転車の右側のペタルに接触させて転倒させ、よつて、翌28日に、同人を頭部外傷等により死亡するに至らせたものである。

 

最高裁判所第二小法廷  昭和42年10月13日

要は原付が小回り右折しようとしている被告人に対し被害者は右側からセンターラインを越えて追い越ししようとした事故。
これについて最高裁は信頼の原則から無罪にしています。

 被告人は、進路右側にある小路にはいるため、原判示のように、センターラインより若干左側を、右折の合図をしながら時速約20キロメートルで南進し、右折を始めたというのであるから、その後方にある車両は、被告人の自転車の進路を妨げてはならないのである(本件当時の道路交通法34条4項参照)。また、このような状態にある被告人の自転車を追越し、もしくは追抜こうとする車両は、被告人の自転車の速度および進路に応じて、できるだけ安全な速度と方法で進行しなければならない(同28条3項参照)のみらず、本件現場は、センターラインの左側の部分が約5メートルあるのであるから、センターラインの右側にはみ出して進行することは許されないわけである(同17条4項参照)。ところで、被害者Aは、被告人が右折を始めた当時、その十数メートル後方にいたのであるから、被告人の動向、ことに被告人が右折しようとしているものであることを十分認識しえたはずである。
したがつて、Aとしては、右法規に従い、速度をおとして被告人の自転車の右折を待つて進行する等、安全な速度と方法で進行しなければならなかつたものといわなければならない。しかも、右距離は、このような行動に出るために十分なものと認められる。しかるに、Aは、時速約60キロメートルないし70キロメートルの高速度で、右折しようとしている被告人の右側から、被告人の自転車を追越そうとして、すでにセンターラインを越えて約2メートルも斜め右に進行している被告人の自転車の右側に進出し、これと接触したというのであるから、Aの右追越し(原判決は、Aは、被告人を追抜こうとしたものであつて、追越しをしようとしたものではないとしているが、Aは、右のとおり、センターラインを越えた被告人の右側に進出し、その前方に出ようとしていたのであるから、むしろ追越しに当るものとみるのが相当である。)は、交通法規を無視した暴挙というほかはなく、これが本件衝突事故の主たる原因になつていることは、原判決も認めるところである。
ところで、車両の運転者は、互に他の運転者が交通法規に従つて適切な行動に出るであろうことを信頼して運転すべきものであり、そのような信頼がなければ、一時といえども安心して運転をすることはできないものである。そして、すべての運転者が、交通法規に従つて適切な行動に出るとともに、そのことを互に信頼し合つて運転することになれば、事故の発生が未然に防止され、車両等の高速度交通機関の効用が十分に発揮されるに至るものと考えられる。したがつて、車両の運転者の注意義務を考えるに当つては、この点を十分配慮しなければならないわけである。
このようにみてくると、本件被告人のように、センターラインの若干左側から、右折の合図をしながら、右折を始めようとする原動機付自転車の運転者としては、後方からくる他の車両の運転者が、交通法規を守り、速度をおとして自車の右折を待つて進行する等、安全な速度と方法で進行するであろうことを信頼して運転すれば足り、本件Aのように、あえて交通法規に違反して、高速度で、センターラインの右側にはみ出してまで自車を追越そうとする車両のありうることまでも予想して、右後方に対する安全を確認し、もつて事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務はないものと解するのが相当である

 

最高裁判所第二小法廷  昭和42年10月13日

この判断自体は既に定着しているのでいいのですが、問題はここ。

昭和39年4月27日

何が問題かというと、昭和35~39年までは、原付一種は全ての交差点で二段階右折義務がありまして。
昭和39年にジュネーブ条約に加入して小回り右折になりましたが、事故発生当時は原付一種は小回り右折が違法。

 

つまり被告人は違法な右折方法で小回り右折しようとして、後ろからきた二輪車が違法な追い越しをして事故が起きていることになる。

 

これについて最高裁判所は、

なお、本件当時の道路交通法34条3項によると、第一種原動機付自転車は、右折するときは、あらかじめその前からできる限り道路の左端に寄り、かつ、交差点の側端に沿つて徐行しなければならなかつたのにかかわらず、被告人は、第一種原動機付自転車を運転して、センターラインの若干左側からそのまま右折を始めたのであるから、これが同条項に違反し、同121条1項5号の罪を構成するものであることはいうまでもないが、このことは、右注意義務の存否とは関係のないことである。

被告人の右折方法違反は「関係ない」としている。

 

これをどう捉えるのかは難しいところです。
被告人の違反は、被害者の著しい違反とは無関係だと評価したのか?
既に右折を開始した以上、センターラインを越えて追い越しする車両まで予見する必要はないという意味なのか。

 

ただし、あくまでも業務上過失致死罪の注意義務を消しただけで、右折方法違反自体の成立は認めているので注意。

 

最高裁ってたまに理由をはっきり示さないまま「関係ない」みたいに言い切るので…
以前書いた転回に関する判例でも最高裁は「交差点ではない」としてますが「なぜ交差点ではないのか?」なのかは示していないので理由はわかりません。

信頼の原則

被害者が赤信号無視したことを見逃して起訴し、赤信号無視の事実が発覚してもなお起訴を継続する精神はよくわかりませんが、行政組織って無駄に引き下がらないからややこしいのよね。
そしていつもの「見解の相違」、「我々の主張が受け入れられず残念だ」みたいな談話。

 

なお、前回示した最高裁判例のほか、右直事故で直進車が黄色灯火(注)で進入した件について信頼の原則から無罪にした判例があります。

本件事故につき被告人に業務上の注意義務を欠いた過失があつたかどうかの点について考察する。自動車の運転者が交差点で右折しようとする場合、単に自車を方向転換させようとする右方のみならず前方(左方)の交通状況に十分注意し、安全を確認して進行し、事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があることは原判決の指摘するとおりであつて、ことに、交差点において直進し又は左折しようとする車両があるときはその進行を妨げてはならないことは道路交通法37条1項の明規するところである。しかし、本件交差点のごとく信号機の表示する信号により交通整理が行われている場合、同所を通過するものは互いにその信号に従わなければならないのであるから、交差点で右折する車両等の運転者は、通常、他の運転者又は歩行者も信号に従って行動するだろうことを信頼し、それを前提として前記の注意義務をつくせば足り、特別の事情がない限り、信号機の表示する信号に違反して交差点に進入してくる車両等のありうることまで予見して、このような違反車両の有無にも注意を払って進行すべき義務を負うものではない

 

広島高裁 昭和43年10月25日

注、当時の黄色灯火は交差点に進行禁止です。

信頼の原則を覆す「特別な事情」というのは、よくあるのは「被告人がこの交差点で信号無視車両が多いことを知っていた」みたいな話ですが、今回は関係無さそうに思えます。

 

検察官も、もっと他にすべきことがあるように思えてなりませんが、たまにあるのよ。
検察側の捜査を非難する内容の判決とか。

なお、他にも被害者が赤信号無視の場合に信頼の原則を否定した判例を挙げておきます。

所論は要するに、本件は、信号機による交通整理の行われている交差点における横断歩行者と被告人車との間に起きた衝突事故であり、かかる場所においては、歩行者といえども信号機の表示に従つて横断すべきであり、自動車運転者は、歩行者は赤信号を無視して横断歩道上に出てくることはないものと信頼して運転すれば足りる。従つて自動車運転者としては単に信号機の表示に従つて運転すれば足り、それ以上に過重な注意義務を課せられるものではない。しかるに原判決は、対面信号機の表示に従つて進行しただけでは、まだ注意義務を果したことにはならないとし、対面信号機の青の信号に従つて走行した被告人に対し過失責任を負わせて有罪としているので、原判決には法令の解釈適用に誤りがあり、この誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるので、とうていその破棄は免れない、というのである。

よつて検討するに、論旨は本件に対し、いわゆる「信頼の原則」の適用を主張するものである、と考えられるところ、もともと自動車の運転には危険がつきものであり、一瞬の前方不注視から大事故を起した事例も多く、俗に自動車を目して走る凶器、走る棺桶などと言われる所以もうなずかれるのである。従つて自動車運転者には高度の注意義務が要求されるが、特に前方注視義務は、自動車運転の際の注意義務としてもつとも基本的なものであり、これにより自車の進行方向の正常が保たれ、また進路前方における障害物の有無が早期に確認され、障害物に対する危険の回避を可能とするのである。そして運転中進路前方を注視することは運転者にとつて決して過重な負担ではない

一方道路交通法は、道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図ること等を目的として、自動車運転者その他の交通関与者に対し、同人らが道路を通行等に利用する場合に遵守すべき事項を詳細に規定し、かつ罰則を設けていその励行を期しており、これら交通関与者が互に交通法規を遵守する限り、通常は事故は起らないものと考えるとともに、自動車運転者としても、他の交通関与者もこれら交通法規を遵守するものであると信頼し、自己において交通法規に従い運転するかぎり通常事故は起り得ないから、そのような運転態度を維持するかぎり自己の業務上の注意義務も果されていると考えるのが普通であるように思われ、またそのように考えても無理ではないと思料される。そして一般的に言つて、右のような信頼の下に自ら交通法規を守り運転したのに、予期に反し相手方が交通法規に違反する異常行動を行い、よつて事故が発生したような場合には、右信頼の下になした運転者の行動は、社会生活上相当なものとして評価され、過失責任はないものとされるであろう。

しかし右は一般的にそうだというのであり、勿論交通法規違反の問題と過失の有無の問題とは別個であり、いわゆる信頼の原則にも限界があるから、右原則を適用し得る場合であるかどうかは、事案毎に具体的事情を精査し、具体的事情に応じた運転者の行動が社会生活上相当であるかどうか、により決定されるべきものと考えられる。

ところで本件における被害者の当時の行動、事故現場の見とおしの状況等については、さきに認定したとおりであり、他方被告人の行動については、関係証拠によると、被告人は、原判示記載のとおり、本件交差点の西方かなり手前(被告人は5、600mと表現している)で同交差点の信号機が青色灯火になつていたことから、自車が同交差点を通過するまでに黄色灯火に変るのではないかと懸念し、右信号機の方に気をとられ、進路右前方に対する注視を欠いたまま、公安委員会が定めた最高速度50キロメートル毎時の速度を超過した時速65キロメートルでひたすら進行したものであり(被告人は本件交差点の信号が青色から黄色に変らないうちに同交差点を通過したいとの願望に支配されていたものと推測できる。)、しかも被告人は前照灯を下向けにしたまま走行していたものである

そこで考えるに、なるほど被害者は、自己の対面する信号機の信号が赤色を表示しているさなかに、本件衝突地点に立つていたものであるが、そこに到達するまでの過程は、少くともいきなり飛出しで来たというような状況ではなく、むしろ普通の歩行であつたと考えられ、右同人の行動は、被告人の進行方向からよく見えた筈であるところ、被告人は右のように相当長距離に亘り右前方に対する注視を欠いたまま高速進行をなしたものであり、被告人に対し右前方に対する注視義務を認めたからといつて格別過酷な要求とも考えられず、この軽易な注意により容易に被害者をもつと早期に発見できたと考えられ、また深夜交通閑散に気をゆるし、バー等で夜ふかしした歩行者が赤信号にもかかわらず横断歩道を通行すること等は必ずしも全然予期し得ないことではなく、その他最初に述べたように前方注視が運転者にとつて基本的な義務であること等諸般の事情に照し考えると、本件に対し信頼の原則を適用することは相当でない、と考えられる。従つて本論旨も理由がない。

高松高裁 昭和49年10月27日


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