こちらでも書いた内容になりますが、
昭和46年道路交通法改正では車線境界線(区間線)を車両通行帯(規制標示)とみなす改正が検討されていたのは確かです。
しかし、なぜか頓挫。
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車線境界線→車両通行帯はなぜ頓挫したのか
昭和46年道路交通法改正時に国会で説明されたのはこちら。
第二条第二項、第百十条の二第三項から第七項まで等の規定は、道路法の規定に基づいて道路の管理者が設置した車道中央線、車線境界線、車道外側線等の区画線を中央線、車両通行帯、路側帯等を表示する道路標示とみなすこととするとともに、車両通行帯の設置、法定の最高速度を越える最高速度の指定等、現在も道路の管理者の意見を聞かなければならないこととされているもののほか、通行の禁止、横断歩道の設置等についても道路の管理者の意見を聞かなければならないこととし、さらに、高速自動車国道または自動車専用道路における通行の禁止、追い越しの禁止等については、道路の管理者に協議しなければならないこととする等、道路の管理者等との関係について規定を整備しようとするものであります。
第65回国会 参議院 地方行政委員会 第16号 昭和46年5月13日
道路交通法は「法律」なので国会の議決が必要で、標識令は省令なので国会の議決が不要。
とりあえず、道路交通法改正案はそのまま認められて、2条2項にこれが新設されてます。
そして国会通過後の警察庁の説明はこちら。
道路標示は、道路交通法の規定に基づいて、交通規制の手段として公安委員会が設置するものであり、区間線は、道路法第45条第1項の規定に基づいて道路の構造の保全等を図るため道路管理者が設置するものであって、両者は、その趣旨、目的を異にするものであるが、たとえば中央線と車道中央線、車両通行帯を表示する道路標示と車線境界線のように、道路標示と区間線が全く同じか、類似した形態のもので、一方を設置すれば他方を設置する必要がないものがあるので、これらの道路標示および区間線については、設置の段階で公安委員会と道路管理者の意思を十分調整し、設置された場合には、道路標示と区間線の双方の性格をもたせることが合理的である。
そこで今回の改正では、区間線のうちこのような性格を持つものを道路標示とみなすことにしたのである。
ところで、道路標示は、交通規制の手段であり、区間線を道路標示とみなすことにより、道路管理者が設置した区間線が交通規制の効果をもつこととなるので、この規定により道路標示とみなされることとなる区間線の設置については、交通規制を一元的に行う立場の公安委員会の意志が十分反映されなければならない。(中略)
道路標示とみなす区間線は、総理府令・建設省令で限定することとなるが、車道中央線、車線境界線、車道外側線等の区画線をそれぞれ中央線、車両通行帯、路側帯等を表示する道路標示とみなすこととなろう。
「道路交通法の一部を改正する法律」(警察庁交通企画課)、月間交通、1971年8月、東京法令出版
改正道路交通法が国会を通過した後の警察庁の説明でも、まだ省令改正で「車線境界線→車両通行帯」を匂わせている。
しかし同年12月の建設省通達、警察庁通達ともに内容はこれ。
道路標示とみなす区画線に関する規定
道路管理者の設ける区画線のうち、「車道中央線(101)」及び「車道外側線(103)」(歩道の設けられていない道路又は道路の歩道の設けられていない側の路端寄りに設けられている実線に限る。)は、道路交通法の規定の適用については、それぞれ道路標示である「中央線(205)」及び「路側帯(108の4)」にみなされることとしたこと。
建設省道政発第122号
昭和46年12月1日
※警察庁通達も内容が同じ。
なぜか「車線境界線→車両通行帯」がない。
警察庁の説明では昭和46年8月には「車線境界線→車両通行帯」を含んでいたのに、12月頭時点では頓挫。
数ヶ月の間に何かがあったのかについては、何を調べても決定的な理由はわかりません。
それっぽい記述はあるにはあるのですが。
このような経緯から、理由はわかりませんが「車両通行帯ではない複数車線道路」が引き続き大量発生したことになります。
元々、昭和35年時点から同じ扱いなんですが。
ちなみに探すと、古い文献に「警視庁管内の車両通行帯」みたいな資料も出てきます。
なぜ?
個人的に思うこととして、「なぜそうなったか」を資料として残していないのは致命的だと思う。
「なぜ?」がわからないと、同じ失敗を繰り返す可能性があるわけだし。
たとえば、「交通の方法に関する教則」から「手あげ横断」が削除されたのは1978年だそうですが、削除された理由は不明。
けど、下記の「スイスでの実験」が関係しているんじゃないかと疑わざるを得ない。
スイスでの実験は、歩行者がいくら合図しても横断歩道での車両停止率が0%を連発して、運転者に意識改革を促したと読み取れますが、日本に紹介されたのは1977年。
しかも警察庁の外郭団体が発行する雑誌に掲載されたもの。
無関係、ですかね?
車線境界線と車両通行帯の関係ってイマイチ分かりにくい上、警察と道路管理者の意志疎通がうまくいっているとは思えない。
車線数減らしたことを知らなかった某警察の「交通規制係」…
なぜここに車両通行帯があるのかも疑問ですが、「最終意思決定年月日」は答えたくないみたいだったので(笑)、車線減らしたことを把握してなかったのでしょう。
道路管理者と公安委員会の意志疎通がうまくいってないのは明らかかと。
ちなみに、ヨーロッパでよくある「譲れ」標識を採用していない理由についても、1972年8月の「月間交通」にありました。
オーストラリアにおける研究みたいだけど、交通量が増すほどに遵守率が大幅に低下したとある。
このあたりの資料もなかなか興味深いですが、本題の「車線境界線→車両通行帯」については省令改正で用意に可能。
けど、「なぜ」取り止めにしたのか、理由についてはハッキリしない。
道路交通法の改正って時々理由がわからないモノがあります。
例えば、「横断歩道の停止線」。
横断歩道に停止線が正式に登場したのは昭和46年改正ですが、昭和40年頃から国会では取り上げられていて、なぜか警察庁が渋っていたような記録すらある。
車線境界線→車両通行帯にみなすことに何の問題があったのかは明確な理由はわかりませんが、誰か頑張って調べてください。
たぶん、こういう部分に何かしらのヒントがあると思うので。
渋った、頓挫した、削除した等の理由って大事。
2011年頃からクロスバイクやロードバイクにはまった男子です。今乗っているのはLOOK765。
ひょんなことから訴訟を経験し(本人訴訟)、法律の勉強をする中で道路交通法にやたら詳しくなりました。なので自転車と関係がない道路交通法の解説もしています。なるべく判例や解説書などの見解を取り上げるようにしてます。
現在はちょっと体調不良につき、自転車はお休み中。本当は輪行が好きなのですが。ロードバイクのみならずツーリングバイクにも興味あり。
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