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国賠法の壁。

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自転車とも交通とも何ら関係ない事件ですが、以前からちょっと気になる訴訟でして。

森友学園をめぐる公文書の改ざんを苦に自殺した職員の妻が、財務省元理財局長を相手取り、損害賠償を求めた裁判で、大阪高裁は妻側の控訴を退けました。

 

【速報】森友公文書改ざん訴訟 赤木さん妻の訴え届かず…佐川元理財局長への賠償請求を2審も退ける 大阪高裁「道義的に謝罪すべきだが法的に賠償義務はない」雅子さんは上告の意向(MBSニュース) - Yahoo!ニュース
夫を失った妻の思いは、またしても司法に届きませんでした。森友学園をめぐる公文書の改ざんを苦に自殺した職員の妻が、財務省元理財局長を相手取り、損害賠償を求めた裁判で、大阪高裁は妻側の控訴を退けました。

これ、財務省元理財局長に対する尋問を請求して裁判所が「必要ない」としていますが、なぜ必要ないと判断されるかというと国家賠償法上、公務員が職務において他人に損害を与えた場合、賠償責任は公務員本人ではなく国や自治体が負うと法律に定めがあるからになる。

第一条 国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる。
② 前項の場合において、公務員に故意又は重大な過失があつたときは、国又は公共団体は、その公務員に対して求償権を有する。

公務員本人に故意又は重大な過失があつたときについては、「国や自治体が」公務員本人に請求することは出来ますが、被害者は公務員本人に対し求償権を持たない。

 次に上告人等の損害賠償等を請求する訴について考えてみるに、右請求は、被上告人等の職務行為を理由とする国家賠償の請求と解すベきであるから、国または公共団体が賠償の責に任ずるのであつて、公務員が行政機関としての地位において賠償の責任を負うものではなく、また公務員個人もその責任を負うものではない。

 

最高裁判所第三小法廷 昭和30年4月19日

ただし今回の大阪高裁判決、佐川氏に道義的な責任に言及している模様。

19日、大阪高裁は「佐川氏が国有財産行政の最終責任者である理財局長という要職にあり、決裁文書の改ざん等の問題行為全般に対して責任を有することに照らすと、その違法行為に対する制裁、同様の違法行為の将来的な抑止、雅子さんの被害感情の回復等の観点からして、上記の措置等が相当かつ十分なものかについては議論があり得る。しかし、仮にこれらが不相当・不十分であったとしても、これをもって公務員の個人責任は認められないという国家賠償法の解釈を直ちに変更すべきとはいえない」と指摘しました。

そのうえで、「決裁文書の改ざんの経緯やこれに関与したことによって俊夫さんが受けた苦しみなどに照らすと、雅子さんによる説明等の要求に対しては、佐川氏において道義的責任に基づき、あるいは1人の人間として、雅子さんに対して誠意を尽くした説明及び謝罪をすることがあってしかるべきとも考えられるが、そうした説明や謝罪すべき法的義務を課すことまでは困難」として、雅子さん側の控訴を退ける判決を言い渡しました。

 

【速報】森友公文書改ざん訴訟 赤木さん妻の訴え届かず…佐川元理財局長への賠償請求を2審も退ける 大阪高裁「道義的に謝罪すべきだが法的に賠償義務はない」雅子さんは上告の意向(MBSニュース) - Yahoo!ニュース
夫を失った妻の思いは、またしても司法に届きませんでした。森友学園をめぐる公文書の改ざんを苦に自殺した職員の妻が、財務省元理財局長を相手取り、損害賠償を求めた裁判で、大阪高裁は妻側の控訴を退けました。

法律上は公務員本人が責任を負わないのだから法律及び最高裁判例に従って判決を出してますが、要はこういう裁判ってお金を求めているわけではないのよね。
形式上は損害賠償請求の形を取るしかないけど、原告としてはなぜなのか説明をして欲しい。

 

国賠法の壁…

 

そもそもこの事件の「国に対する裁判」は、国が説明責任から逃れるために認諾して裁判を終了させている。

12月15日、国が全面的に非を認める「認諾(にんだく)」をしたことで、この裁判はあっけなく「終わって」しまった。

「国が『認諾』したという報を聞いて、とても驚きました」

そういうのは、京都大学大学院法学研究科の曽我部真裕教授だ。

「赤木雅子さんが求めたのは、賠償金ではないでしょう。お金がめあてではなく、国家賠償請求の裁判という形で、真相を解明したかった。けれども国は、それを避けたかった。『認諾』つまり訴えの全てを認めてしまえば、それ以上裁判にはなりません。打算的な判断です。これには、なにか不純なものがあるんじゃないか、制度が悪用されたと感じます」

 

法曹界絶句…赤木さん裁判で国が「認諾」という非道を選んだ理由 | FRIDAYデジタル
最愛の夫を失った妻は声を上げた。「なぜ夫が死ななければならなかったのか」その悲痛な思いを裏切った国の判断。私たちにできることは? 写真:つのだよしお/アフロ 公文書の不正な書き換えを業務として強要され

民事訴訟には「認諾」という仕組みがありますが、原告の請求に対し被告が「認諾する」と書いて裁判所に提出すると、原告の請求を全面的に認めた形で裁判は終了します。
判決文にはならない。

 

真相を知りたいために形式上は損害賠償請求の形を取るしかないのに、認諾して損害賠償を全面的に支払うことにすると真相は闇の中。

 

そして佐川氏本人に対する損害賠償請求にしても、国賠法上は本来無理があります。
しかし国が認諾した以上、公務員本人を法廷に引っ張らないと真相究明にはならないわけですが、国賠法の壁が出てしまう。

 

なんか切ない事件ですね。

 

ちなみにですが、交通事故の後の民事訴訟でも、真相究明のためにあえて「認諾させないような請求」をして争う構図にすることはあるみたいです。
相場より請求がはるかに高いなら保険会社も争わざるを得ないので。

 

しかし、裁判所が「道義的責任」に言及したとしても法律上の義務はないことに変わりないわけで、こういう事件って難しいですね。

コメント

  1. カモがネギしょってる より:

    >国が説明責任から逃れるために認諾して裁判を終了させている。

    これって賠償金の出所が税金だとすれば、認諾をすることに対して説明する義務が生じると思うのですが…
    説明を求めることは出来ないのでしょうか?

    • roadbikenavi roadbikenavi より:

      コメントありがとうございます。

      国民に対する説明責任は「道義的」にはありますが、法的にはないので…
      認諾って本来は、双方に争いがないなら速やかに終結させるだけのシステムだと思われますが…

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