PVアクセスランキング にほんブログ村
スポンサーリンク

冤罪事件について反省すべきは、警察と検察だけではない。

blog
スポンサーリンク

大川原冤罪事件について警視庁から問題点と報告書が出てますが、

当時、本件の捜査に従事した3人の捜査員が捜査運営に批判的な証言をしたことを捉えて、警視庁が控訴審の準備書面において「壮大な虚構」との表現を用いたことについては、真相に向き合う態度とほど遠いなどと各方面から厳しく批判され、X社側からもその撤回を求められたところである。
控訴審判決において「(3人の捜査員が)証人尋問において本件において逮捕が相当でなかった旨を述べていることも重く受け止めるべき事案である。」と指摘されたところ、今回の検証で明らかとなったのは、捜査運営を誤っていたのは外事第一課ひいては公安部という組織の側であり、3人の捜査員については、準備書面で殊更批判的に言及されるべきでは無かったということである。
既に判決が確定した控訴審の準備書面の表現を過去に遡って訂正することはできないが、「壮大な虚構」との表現は、3人の捜査員への配慮を欠くのみならず、将来にわたって職員が自由に意見を述べることを萎縮させかねない点においても不適切なものであり、警視庁として今後はこうした考えは一切持たないという決意とともに、撤回することとしたい。

https://www.keishicho.metro.tokyo.lg.jp/about_mpd/keiyaku_horei_kohyo/oshirase/taisaku.files/report.pdf

要は法廷で「警視庁の捜査がおかしかったこと」を証言した捜査官について、警視庁は控訴審の準備書面で「壮大な虚構」と非難した。
捜査官は身内の不始末を証言し、身内の警視庁はそれを非難したことになりますが、

 

控訴審でこのような主張をしたこと自体が警視庁の体質なんじゃないのかな。
結局のところ、国賠訴訟で判決が確定したからこのような「撤回」になるわけで、裁判所の判断次第では撤回してないとも言える。
捜査官が自由に意見できないような体質が問題なような(ただしどのような組織でも、上層部の不始末を証言するのはなかなかできない)。

 

そもそもこの事件って、問題点が多い。

 

①警視庁がおかしな解釈をし始めなければ問題は起きていないし、経産省の担当者も当初「捜査機関解釈」に否定的だった
②検察官も経産省解釈の確認を怠り起訴した
③勾留するのに不適切な事情(病気)があるのに勾留申請をした検察官と、それを認めた裁判官
④大川原側はマスコミに対し問題点を伝えることをしていたのに、マスコミは黙殺した。国賠提起後/国賠確定後に騒ぎ出すのではなく、逮捕/起訴の段階で問題点を報道できたはずだし、有識者に取材すれば「捜査機関解釈」に問題点があることを認識できた。

 

マスコミにしても所詮は結果論で、起訴取消や国賠提起、国賠確定後に騒ぎ出したわけですが、

 

そもそも、マスコミは逮捕報道を大々的に報じていたわけで、逮捕時点で「逮捕は問題だ」という報道もできるのよね。
まあ、そんなことを書けば記者クラブからハブられて今後の取材に支障を来すことになりますが、

 

本来、別組織である警察、検察、裁判所、マスコミはそれぞれが監視するような役目であって独立しており、家族的な立場ではない。
ただしメディアに監視するような能力があるかは疑問があり、苫小牧白バイ事故にしても、当初「冤罪」であるかのような報道内容でしたが、被告人が右折を開始したときの双方の距離は公判で明らかにされていた(ここについては争いがない事実)。
最初からそれを報じていればおかしな世論にはならないのでして。

 

以前から指摘してますが、メディアが報じた内容から想像するイメージと、判決文にある事実認定にはだいぶ差があることはわりと多い。
重要な部分をあえて伏せて報じているかのように感じることもありますが、それを世論誘導と呼ぶのではなかろうか。

 

大川原冤罪事件については、メディアも反省すべきだと思う。

コメント

タイトルとURLをコピーしました