こういうのを見ると、うーん、論点がそこなのか?という疑問を感じる。
警察は自転車の交通違反取締りをぜんぜんやっていないと言われたとき用リンク。
自転車違反の摘発、最多の2万5000件…感染予防で利用者増 : 社会 : ニュース : 読売新聞オンライン https://t.co/TBgtyVd2wz
— 大司教 (@SherlaneHalaran) April 1, 2022
取り締まり件数
リンク先の記事によると、一年間で全国の警察が行った自転車への取り締まり件数が25465件とあり、年々取り締まり件数が増えているのはバカでも分かる。
一年間で25465件だと、1日平均で69.8件。
大都市と地方の違いを分けずに1都道府県あたりという雑な見方をすると、1都道府県あたり1日1.48件の自転車の違反を取り締まりしたことになります。
で、この数字を見て、多いとか少ないとか、それ自体が問題の本質から外れていると思う。
「警察は全然自転車の取り締まりをしていない」というセリフが発せられた時に、そもそもこのセリフを発した人はどういう意図で発したのか。
この記事を書いている日、私が外出して道路上にいた時間の合計は1時間にも満たないくらい。
信号無視の自転車は2件、歩道爆走自転車が2件。
「全然取り締まりしていない」という言葉の裏に何があるのかというところだと思っていて、要はセリフを発した人の体感として、
などの「具体的体感の変化」を求めているわけであって、「具体的変化を感じ取れる程度の取り締まり」の話だと思うのよ。
毎年、検挙件数は増加している。
というよりも年々急増している。
そんな数字については、調べればバカでも分かる程度のこと。
具体的件数の話ではなくて、具体的変化を感じ取れる程度の取り締まりをしているか?の話だと思うのね。
つまり、評価軸は「過去の取り締まり件数」ではなく「体感の変化」にある。
例えば、車が横断歩道で止まらない問題。
警察が重点的に取り締まりしたことから、「体感として」「以前よりは」止まるようになった印象。
これは読者様のコメントです。
車道逆走や並進に対しても何かしらやってくれないですかね。法律的にまずいことを知らせるのはもちろんですが、「あなたは無神経だ」と言われている気にさせるだけでも十分効果がありそうに思いますが。
結局のところ、実感としての変化を求めるわけ。
検挙件数が増えてます、だけど実感として逆走違反自転車は減ったようには感じませんでは、「全然取り締まりしていない」と評価するのが人間。
数字は数字に過ぎないけど、あえて数字で評価するならば1日あたり全国で70件弱の取り締まりについては「まだまだ」だし「全然」の領域ではありますが、1日平均70件がなければさらなる上の取り締まりは無理なわけで、さほど期待はしませんが、「増えている」という事実については評価しています。
いきなり毎日1000件の自転車を検挙せよということは無理なわけで、小さいものの積み重ねでしかないから。
数字と意味
たぶんこういう人って、そのセリフを発した人の真意を理解していないから具体的数字を挙げたがるのでしょうけど、例えば1日200件(記事の3倍弱)自転車の違反を検挙した実績があったとしても、生活実感として目に見えて自転車の違反が減ったというような印象を持たない限りは、「全然」なんだと思う。
最終的な目的は取り締まり件数が増えることにあるわけではなく、実感・体感として自転車の違反が減ったかどうかの話なので。
実感とか体感という曖昧な要素が変化したなと感じるには、相応の変化がないと厳しいのよ。
仮にですが、毎日50000台の自転車が逆走している事実があったとして、50000台が49000台に減ったところで、実感としての変化には乏しい。
数字は数字に過ぎないことを理解していないと、根底にある部分を見逃して的外れな数字で論破しようとするだけ。
ちなみに以前も書いた件。
どの記事の中で書いたかわからなくなりましたが、某県警の交番で聞いたところによると、その警察官が自転車に対して赤切符を切ると「大問題」になるらしい。
上からの指示みたいに言ってましたが、交番前の道路を自転車が多数逆走しているのは理解している。
注意指導は出来ても、赤切符は切れない。
自転車の少額違反金制度見送りの報道の中に、「各都道府県警の温度差や足並みガー!」みたいなのがありましたが、警察の本音を聞いてしまっている立場からすると、凄く納得の報道です。
同じ某県警傘下の警察官からも「自転車に切符を切ることはしていない」と言ってましたし。
これの理由も、ある程度は推測してます。
いろいろ裏事情を聞いてしまっている立場からすると、自転車への取り締まりは「全然」。
「全然」というのは、数字よりも実感、体感なんだよね。
ただしこれは、車の取り締まりについても同様。
自転車への左折巻き込み未遂事件は、体感として減ったとは感じませんし。
先日も書いた件ですが、
第一当事者、第二当事者の決め方には何ら基準もなく、某警察本部が言うには
怪我した方が第二にする。
怪我の程度と過失の大小は別問題ですが、こんなデータの集合体について語ることに、意味を感じない。
むしろ無意味なデータでしかない。
数字が上がらないと生活実感としての変化を感じ取れるところまでいかないことが多いとはいえ、「全然やってない」の「全然」の心理がどこにあるのか考えないと、的外れな反論にしかならない典型例だと思う。
ちなみにですが
先日書いたこの件。
勘がいい方は気がついたようですが、その記事です笑。
どういう脈絡で私の言葉を使うのか不明だったことや、そもそも平然と しね と書くような人間はマスメディアに向かないことをお伝えして無しにしましたが、その記事です。
まあ、あの記事について「車の方が悪いだろ」みたいな反論をする人って、正直なところ理解に苦しむ。
違反は違反なので、車だろうと自転車だろうと歩行者だろうと、ダメなことはダメ。
「車の方が悪い」とか、悪い度合いがどうのこうの言ったところで何か変わるのかな?
車と自転車は敵対構造という図式なんかな?
ある警察本部では、怪我した奴を第二当事者にする運用だそうですが、自転車が逆走して車が避けきれずに衝突すると、自転車が怪我するので第二当事者になります。
過失として大きいのは、本当に車ですかね?
原因となる違反が先行して、車には回避義務違反がつく可能性はあるとはいえ、原因がなければ回避義務すら発生しないと思う。
ジャパンが決めた最低限かつ超基本的な左側通行を守らない方が害悪としか思えないけど。
数字って説得力があるように思いがちだけど、論点がそこなんかな?という観点で見るとね。
このハゲ!違うだろ!と発狂するのかな笑。
まあ、数字として大きな変化があったにも関わらず、「実感がない」というケースもあるにはある。
別の見方をする県民もいる。仙台市北地区交通指導隊の高成田哲二隊長(70)は今回の成績に「実感がない」と首をかしげる。
月5回、仙台市中心部の交差点で登下校の小中学生を見守っているが「昨年と比べ停止する車が増えたという印象はない」と高成田さん。「子どもが横断歩道を渡ろうとしても通過する車を見掛ける」と語る。
「止まる」宮城、偶然か必然か 横断歩道の車停止率4位に躍進 | 河北新報オンライン信号機がない横断歩道での車の一時停止状況調査で、宮城県が2020年の全国ワーストから一転、21年は全国4位になった。県警は「汚名返上に向けた取り組み強化が奏功した」と胸を張るが、目に見えて車が止まる…
これはサンプル数が少ないことによる問題だとは思いますが、実感がないのに数字は大きい変化。
正直なところ、あのサンプル数で一喜一憂しているのは滑稽。
2011年頃からクロスバイクやロードバイクにはまった男子です。今乗っているのはLOOK765。
ひょんなことから訴訟を経験し(本人訴訟)、法律の勉強をする中で道路交通法にやたら詳しくなりました。なので自転車と関係がない道路交通法の解説もしています。なるべく判例や解説書などの見解を取り上げるようにしてます。
現在はちょっと体調不良につき、自転車はお休み中。本当は輪行が好きなのですが。ロードバイクのみならずツーリングバイクにも興味あり。
コメント
私は地方在住ですが、警察官と知り合いです。
自転車の交通違反取締は、やるな と云うのが、署内で暗黙の了解だと云っていました。
コメントありがとうございます。
某県警の交番では、「僕が自転車に切符を切ると大問題になる」と言って何かを恐れていました。
上からの指示と言ってましたが。