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無罪になった判例から学ぶシンプルな話。

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日本の刑事司法は99%以上の有罪率を誇りますが、過失運転致死傷罪はたまに無罪判決があります。

 

無罪だったね良かったね!で済ませたら、何の意味もありません。
無罪判決にも学べるポイントがあります。

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横断歩行者妨害事故

横断歩行者妨害事故で無罪になった事例は少ないけど、以前も取り上げたこちら。

 

判例は東京地裁 昭和46年2月18日。
業務上過失傷害罪(現在の過失運転傷害罪)の事件です。

 

まずは事故の概要から。

・事故現場は車道幅20m(軌道敷含む)
・クルマは青信号に従い右折し、横断歩道手前で一時停止
・小学生3名のうち、2名が歩道に引き返した。
・1名(A)はそのまま横断歩道を左→右へ横断して被告人車の前を通過した(このとき2名は声を掛けた)。
・Aは軌道敷のレール部分でしゃがんで、手にした棒でレールをつつくようなことを始めた。
・Aは被告人車からみて、右前方5.6mの位置。
・被告人はAの様子を数秒間停止後して観察し、そのまま右へ横断すると考えた。
・被告人は現状、Aとの間に1.5mほどの側方間隔を置いて安全に通過できると考えた。
・被告人は時速5キロ程度でAを注視しながら進行したものの、突如Aが反転して左側歩道に戻る動きをしたため急停止したものの衝突

イメージはこんな感じなんじゃないかと(信号は割愛します)。

 

クルマが青信号に従って右折し、横断歩道の前で一時停止。

小学生のうち一名が被告人車の前を横断。
この際に、小学生は被告人をチラ見。

小学生は軌道敷のレール上にネズミの○骸を置く遊びを始め、被告人はしばらく観察していました。
被告人は小学生との側方間隔を1.5m空けて進行できると考え、小学生の様子を見ながら注意深く出発。

被告人は同人はそのまま右方に横断歩行していくものと考え、数秒間停止状態を続けたのち、同人の傍らを通過しても危険はないものと判断し、同人を注視しながら発進し、そろそろと約3.5m前進して車体が横断歩道上に半分位かかったときに、しゃがんでいた被害者が突如立ち上がって振り向きざま、やや斜め左後ろ方向に駆け出したので、危険を感じ急制動措置に出たが、1.85m位前進した被告人車両の右前部に被害者が衝突して転倒したものである。被告人としては、被害者が、被告人車両に事前に気付いていたのであるし、まさか、このような行動に出るであろうことは予想せず、しゃがんでいる同人の約1.5m位脇を無事通過できるものと考え、同人の動静を十分注視しながらゆっくり前進したものであって、運転者としての注意はつくしたつもりである、というのである。

被告人の供述通りに事実認定されてますが、以下の理由から無罪。

検察官が主張するような注意義務があったかどうかを検討するほかはないが、被告人は被害者の動静注視は十分につくしていたと認められるし、また、本件当時のつぎのような状況、すなわち、本件現場が自動信号機によって交通整理の行われている大きな交差点の出口付近であり、都電の軌道敷を含めて車道幅員は計20mを越える大通りであって、学童等がしばしば不規則な行動をして遊びまわるようなことが予想されるようなところ(たとえば路地等の裏通りとか、広場付近、あるいは団地内の道路等)とはまったく異る場所であること、被害者らが当時9才の小学生で、しかも下校途中であったこと(幼児ではなく、また、交通規則等の遵守を期待できる通常の通行人と目し得る者であって、一見して交通秩序や危険にまったく無関心な路上遊戯者といえるような状態にある者とは認められない)を考えると、前記弁解事実のような状況下における通常の自動車運転者に、しゃがんでいる被害者が本件においてとったような突飛な行動に出るかもしれないことまでも事前に予想すべきであるとすることは難きを強いることになるというほかはなく、これを予見すべきであるとして構成されている検察官主張の注意義務はこれを認めることはできない、といわなければならない。なお、検察官の主張する警音器の吹鳴は、本来、本件のような状況下においてはそれ自体を業務上の注意義務として認めることはできない(なぜならば、ただ警笛を鳴らしてみても、相手がその警告を理解しないときは、他の注意、たとえば発進自体をさし控えるか、相手の近くで再び停止する等のことをつくさないかぎり結果回避は結局不可能であるからである)のみならず、かりに、そうでないにしても、被告人の弁解するように、もし、被害者が被告人車両の存在に気づいていたとすれば、そのような歩行者になお義務として警告を与えるべきであるとすることはいささか酷といわなければならない。そして、被告人は、被害者のしゃがんでいる姿をしばらく見届けたうえ、これを注視しながら、5キロ程度のきわめてゆるい速度で前進し、被害者の突然の動きを認めるとただちに急制動措置をとっているのであるから、この経過にも通常の自動車運転者としてとるべき態度に欠けるところはないと認められる。

 

東京地裁 昭和46年2月18日

検察官は「前方注視、警音器吹鳴」を注意義務違反として非難してますが、結果は無罪。
裁判の仕組み上、検察官が主張してないことを裁判所が勝手に判断することはできません。

 

ポイントになるのはここ。

検察官の主張する警音器の吹鳴は、本来、本件のような状況下においてはそれ自体を業務上の注意義務として認めることはできない(なぜならば、ただ警笛を鳴らしてみても、相手がその警告を理解しないときは、他の注意、たとえば発進自体をさし控えるか、相手の近くで再び停止する等のことをつくさないかぎり結果回避は結局不可能であるからである)のみならず、かりに、そうでないにしても、被告人の弁解するように、もし、被害者が被告人車両の存在に気づいていたとすれば、そのような歩行者になお義務として警告を与えるべきであるとすることはいささか酷といわなければならない。

この判断が間違っているとは思わないけど、シンプルに考えてみましょう。

管理人
管理人
窓を開けて声を掛けてれば、事故の回避は余裕だったんじゃね?

小学生がレール上で遊びだしたわけですが、窓を開けて声を掛け、クルマが進行することを伝えてから進行すれば事故が起きていないはず。

 

こういうのも、検察官が「被告人は窓を開けて声を掛け安全確認してから進行すべき業務上の注意義務を怠った」みたいな公訴事実を設定していたら、判決は違ったかもしれないし、事故の回避は余裕のはず。
法律家の方々は難しく考えて「け、警音器吹鳴義務違反!」とかになってしまうけど、シンプルに考えれば窓を開けて声を掛けていたら結果は違っていたのかと。

裁判所の問題?検察官の問題?

無罪になった判例をみていると、検察官の主張がビミョーすぎるものもあって、赤信号の自転車横断帯なのに「被告人は38条1項前段の減速接近義務を怠ってます!」みたいなものすらある。

 

一方、上の東京地裁判決のようにシンプルに考えれば「窓を開けて声を掛ければ済んだ話」みたいなのもある。
法律家のセンセイ方は無駄に問題を難しく考えてしまう気もするけど、事故を回避する手段はもっとシンプルなコミュニケーションなのかもしれません。

 

けど、刑事事件で「窓を開けて声を掛けるべき注意義務違反」と主張したものがあるのかは謎です。
過失運転致死傷罪は道路交通法に関係なく不注意を問うのだから、「声を掛ける」も不注意に含まれるはず。
要はわからない事態が発生したときには、直接聞いたほうが早いし確実。

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