自転車に乗るときにヘルメットは必要か?という議論が起こると、いわゆる「ヘルメット反対派」の人は必ずと言ってよいほど、この数字を出してきます。

自転車にヘルメットを被せる前に、歩行者にヘルメットを被せないと。
数字をわざわざ挙げてくる人もいますが、基本的には無能な議論だなと思ったりする。
そもそもの話
ヘルメットは頭部にかかる外力を軽減する役目を果たす。
まあ、ここは異論もないと思います。
ちょっと考えて欲しいのですが、歩行者にヘルメットを被せたとして。
時速60キロで車が歩行者に衝突したとして、ヘルメットの有無により生存率って大きく変わるのだろうか?
もちろん、そんな危険な実験データがあるとも思えない。
時速60キロで車が歩行者に衝突すると、歩行者はかなりふっ飛ぶと思われます。
ふっ飛んで着地する際に、ヘルメットの有無により頭部へのダメージは違う可能性は当然あるだろうとは思うけど、違う箇所へのダメージが致命傷になる可能性もある。
オートバイや原付は、日本の法令上、ヘルメットは義務。
その昔は任意でした。
オートバイや原付がヘルメット義務化されている理由を考えると、より強いエネルギーを持つ車との衝突事故時に頭部への衝撃を緩和する目的もあるとは思いますが、不安定な2輪車という特性上、単独落車が起こりうる。
操作ミスによる単独落車のこともあれば、事故回避、衝突回避のために落車というケースがあって、どちらかというと落車時の頭部の保護目的なんじゃないかと。
原付だって、車が時速60キロで衝突した場合に、ヘルメットの有無により生存率が大きく変わるのかはわからないけど、無いよりはあったほうが頭部へのダメージは少ない。
けど、ヘルメット着けていても万能で全て守るわけではない(当たり前)。
ヘルメット着けたらマリオのスター状態になるわけではない。
自転車も同じで、不安定な2輪車という特性上、単独落車は普通に起こりうる。
ぶっちゃけた話、ロードバイクで走行中に、時速60キロの車が横から突っ込んできたとして、ヘルメットの有無により生存率が大きく変わるのかは疑問。
ヘルメット着けていることにより、多少望みが出るかな?くらいの期待度でしかなくて、全てを守る存在だとは誰も考えていないと思う。
ただまあ、特にロードバイクの場合には、単独落車とか事故回避しようとして落車した場合に、それなりの加速度を伴って頭部に衝撃がかかる。
歩行者だってつまづいて転倒することはあるけど、自転車が落車するときの加速度と比較したら、ほとんど無視してもいいレベルだと思う。
警察の資料だと、事故件数として載っているのは、当然ながら警察に通報があったケースに限られる。
「加藤君が昨日、ロードバイクに乗っていたときに落車して怪我したよ」みたいなのは、通報してなきゃ警察も把握していない。
「勅使河原さんが昨日、つまづいて転倒してタンコブできた」みたいなのも、警察は当然ながら把握しているわけもない。
歩行者事故で多いのは確か横断中の事故だと思うのですが、そもそもヘルメットが守れる範囲って、全ての事故だとは誰も思っていない。
それこそ、頭部の轢過なんて、ヘルメットの有無により生存率が違うのか?という話。
歩行者のほうが頭部損傷による死亡率が高い!という数字だけに着目して、「自転車にヘルメットを被せる前に歩行者に被せるべきだ!」という人って、数字だけに着目した無能者なんじゃないかと思ってまして、ヘルメットの有無により防げない死亡事故まで検討してるだけなんじゃないかと。
ロードバイクのヘルメットで防ぎたい怪我、防げる可能性がある怪我って、こういうのだと思う。
落車し縁石に頭部を打ち付けた死亡事故ですが、こういうのはヘルメットを被ることにより防げる可能性はある。
仮に時速50キロでダンプカーに衝突されたとして、ヘルメットの有無により大きく生存率が違うのかについては、正直なところ疑問。
ノーヘルよりはチャンスがありそうだけど。
自転車における落車って、歩行者でいうところの転倒。
この比較により「歩行者もヘルメットを被せるべきだ!」という議論ならまだしも、単に警察が発表した死亡事故の損傷部位だけ取り上げて、自転車よりも歩行者のほうが頭部損傷死亡率が高い!というのは、根本的に無能の証だと思う。
まあ、自転車の落車がどれだけあるのかは、数字としてはわかりません。
何せ、単独落車程度なら、ほとんどの場合は警察に通報してないでしょ。
数字の意味
何でもそうですが、数字を挙げればいかにも説得力があるかのように錯覚するけど、数字にどれだけの意味があるのかは考えたほうがいいと思う。
私自身、ロードバイクのヘルメットについては、事故を減らす効果はなく、事故にあったときの怪我の程度を軽くする程度のものと理解しています。
けど先日、読者様から頂いたコメントも一理あるなと。

所謂ロードバイク乗りはノーヘルでロードバイクを乗ってる人を毛嫌いする傾向にあります。
なぜか。
ヘルメットを被ることによる安全意識を持ち合わせていないと判断しているからだと思います。少なくとも私はそうです。
自分の安全性を担保出来ない人は他人の安全など考えていないだろうと推測出来るから。
「事故を防ぐものではない」と仰ってますが、本当にそうでしょうか。
事故を起こす、または、事故に遭うのは、この安全意識の大小に依るところが、大きいのではないかと考えます。
私の考え方ですが、どれだけ安全に意識を置いたとしても、人間は完璧だとは思っていないので、絶対にミスしないとは思っていない。
自分の限界を認めた上で、ヘルメットを被るという感覚です。
仮に後ろからダンプカーが時速60キロで突っ込んできたとして、ヘルメットの有無により生存率が大きく変わるのかは疑問だけど、無いよりはあったほうが良さそう程度。
そういう防げない怪我についてはヘルメットに頼ってもしょうがないけど、少なくともカサルテッリのように、落車して頭を打ち付けた事故については、ヘルメットの有無により違いが出るのでは?という期待感です。
こういうのは自転車道を整備しようと、単独落車を完全に無くす効果もないし、そもそも同一線上で考える問題なのか?は疑問視してます。
何がなんでも自転車道作りたい派の人って、自転車道が出来て車と自転車の走行空間が分離されたらヘルメットは不要みたいな話をしだすのですが、どちらかというと、ヘルメットで防げる可能性って単独落車みたいなケースなのかなと思ってまして。
ダンプカーに突っ込まれて、ヘルメットの有無により結果が大きく違うのか?は果てしなく疑問。
もちろん効果がゼロとは思いませんけど。
まあ、でも数字を挙げればいかにも説得力があるかのように錯覚しちゃいますし、あらゆる材料を駆使して世論を誘導したい人もいるのも事実。
インフラ整備自体は必要だけど、どうも自転車道作れ派の人って視野が狭い人が多いのでうんざりします。
それこそ、ロードバイクに乗るときに信念を持ってノーヘルだと語る人もいます。
「ヘルメットを被ることにより神を感じれ取れなくなる」と平然と語り出す人もいましたが、個人的な見解では、プラスチックで遮断される神というのは信仰心が足りないだけなんじゃないかと。
ヘルメットを被ると安心感から、よりリスクが高い行動を取るというリスク補償論を語る人もいます。
これは明確なデータはないはず。
部分的にリスク補償が起こるとした研究も無くはないけど、まともな感覚を持ち合わせた人なら、ヘルメット被った程度で無敵状態になるとは思わない。
ヘルメット被った程度で無敵だと思うレベルなら、根本的にヤバい人としか思わないけど笑。
ヘルメットに期待するのは、自分の注意だけでは防げない事故があるという「人間の限界」を認めた上で、かつヘルメットでも防げない事故もあるという「ヘルメットの限界」も認めること。
バカじゃないので、ヘルメットが何でも守ってくれるとは考えない。
ロードバイクなんて、ちょっとの油断や判断ミスで容易に落車しますからね。
これはインフラ整備が成されても何ら変わらない。
ヘルメットよりも自転車道作れ!みたいな雑な議論をする人っていますが、両者の目的が全部合致しているわけじゃない。
非常に雑な議論であり、論点のすり替えに近い気がします。

2011年頃からクロスバイクやロードバイクにはまった男子です。今乗っているのはLOOK765。
ひょんなことから訴訟を経験し(本人訴訟)、法律の勉強をする中で道路交通法にやたら詳しくなりました。なので自転車と関係がない道路交通法の解説もしています。なるべく判例や解説書などの見解を取り上げるようにしてます。
現在はちょっと体調不良につき、自転車はお休み中。本当は輪行が好きなのですが。ロードバイクのみならずツーリングバイクにも興味あり。
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