輪行するときに、ここだけは気を付けてほしいところ。

障害者の方が炎上している件でちょっと思い出したのですが。
これは前にも書いたことがあると思うのですが、輪行するときにちょっとだけ気を付けてほしいことを。

手すりの扱い

輪行するときに、電車の中では手すりに輪行袋を固定している人は多いと思います。
これ自体を否定するわけではないのですが、そもそもその手すりは何のためにあるのか?というところ。

足腰が悪い人とかだと、電車に乗るときに手すりがないと乗れません。
なのでなるべくドア付近の手すりには括り付けないか、駅について誰かがその手すりを必要としているときには即座に動かせる体制でいてほしいなと思ってまして。

これ、何年か前に私が腰を痛めたときに、痛感しました。
1ヶ月近く仕事も休んでまして、ほぼ毎日治療を受けに行っていたのですが。

電車に乗るときに、手すりを持って手で支えないと、まともに電車に乗れません。

変な話、誰がその手すりを必要としているか、わかりづらいと思います。
高齢者だけでなくても、見た目が健康そうに見えてもその手すりを必要としている人もいますし。

こういうのって経験しないとなかなか理解しづらいところだとは思いますが、ドア付近の手すりに輪行袋を括り付けて、座席で寝ている人とかもいます。
手すりって、それを必要とする人がいるから付いているものなので、そういう見方もあるんだということは知っておいて損はないかと。

あと、電車の乗務員室のドアを塞ぐ置き方もやめたほうがいいです。
前輪しか外さない輪行袋は、論外。

思うのですが

先日も少し書いた件。

報道でご存じの方も多いと思うのですが、障害者の方がJRに乗車拒否されたとしている話。 なんだかなぁ、と思うとこ...

この件、非難する声のほうが圧倒的に大きいように感じるのですが、差別的なことを書いている人って少ないなと思ってみてます。
差別と区別の違い、大切だと思うんですよ。
差別は、

偏見や先入観を元に特定の人々に対し不平等な扱いをすること、他と比べて低く扱うこと

階段しかない無人駅を使うにあたって、自力歩行できる人と、出来ない人は区別される。
自力で階段を上り下り出来ない人は、助けとなる人が必要となるけど、自力歩行できる人は自分で歩く。

マンパワーが必要となるか否かで区別しているだけで、偏見も先入観も無ければ、低く扱っているわけでもない。

無人駅に降り立って、さあ私を助けてくださいといっても出来ない可能性のほうが高いわけで、無駄な時間を費やす可能性がある。
だから調べて、必要に応じて連絡しておく。

単なる自己防衛的な意味合いで調べるんだと思うんですよ。
ここでいう自己防衛というのは、安全面もそうだし、時間とか費用なども含め。
これは障害者だからというわけでもなくて、ベビーカー押しているママさんも同じ。
必要がある人は自分で調べるし、調べることを放棄した結果、起こった結果については自己責任になる。

事前に調べて、連絡すると駅員も集まりやすく、私の待ち時間も減り、お互いにとっていいと思います。しかし、歩いている人たちが電車に乗る時に、駅が使えるかどうかを調べることはほとんどないと思います。「車いすなんだから調べるのは、仕方ない、連絡もしないといけない」というのは、改善していきたいです。なぜなら調べるのも、連絡するのも、手間も時間もかかることだからです。その手間と時間が障害者にだけ強制されるは、差別があるということと同じはないでしょうか。

http://blog.livedoor.jp/natirou/

手間と時間をかけないで起こった結果については、自己責任にしかならない。
これは障害者だけでなく、人間であればみんな同じこと。

こういうのも見つけました。

私も家族がいる身だ。家族旅行もそのうち計画するだろう、その際乗りたい電車に乗れなかったら家族の大切な時間を理不尽(理不尽じゃないとか、事前に確認が必要とかいうな、あんたは歩ける人は、事前に調べるか?対話??ふざけるな。対話する必要等ない)に奪われたなら怒るだろう。

https://note.com/kangaeru2018/n/n0a2bf1ab0bbb

必要な人は調べるし、必要がない人は調べない。
どちらにせよ、その結果何らかの不利益を被ったなら、全て自己責任にしかならないのが日本の鉄則。
ベビーカー押して階段しかない無人駅に到着したとして、それは誰の責任なんですか?という話。

なぜ調べないことを肯定するのかよくわからないなぁ・・・と。
調べかなった結果被った不利益が、健常者なら自己責任で、障害者なら障害者差別解消法に触れうるなんて不自然。

ただまあ、世の中には調べないことを、いろんな言い訳を作って拒絶するような人もいるのが現実。
ネットで調べるという行為も、残念ながら間違ったことを平然と書いているケースもあるので、情報の信用度は自分で考えるしかない。
ひどい場合だと、責任から逃れるような記述をしている記事もありますし。
それも単なる言い訳。
素人だから許される、素人だからしょうがないよね、みたいな逃げ文句を用意する暇があったら、調べれば済む話。

差別と区別の線引きって難しい面もあって、被害者が差別だと主張すればその通りになるのか?というとそうではないはず。
加害者が【差別ではない】と前置きして差別的発言をするのも、許されることではないはず。
だから、差別かどうかについては、当事者が決めるものではないんじゃないかと思うんです。
第三者が客観的に判断すべきもので、当事者が【障害者差別だ!】と言い出すのは、違うんじゃないですかね。

調べれば済んでいたことなのに、言い訳するのかはちょっと理解に苦しむ。
来宮駅で検索すると、JRの公式HPも出てくるし、ウィキペディアも出てくる。
それを読んでもわからない点があるなら、大きな企業なら【お客様相談室】があることは周知の事実なので、今度はお客様相談室を検索して電話すれば済む。

わからないこと・不明なことをそのままにして進むから問題が起こるのではないでしょうか?

まあ、障害者ではなく健常者でもこういう人はいるので、あくまでも人間全般についての話。
これを差別だといわれてしまうと、議論にならないと思うんです。

世の中っていろんな人がいるなぁと思うことが多いですが、言い訳ばかりの人っているんだなと。

人間誰でもそうですが、間違いがない人なんてあり得なくて、間違えたときにこそ本性が出るような気がします。
間違えても言い訳ばかりする人と、素直に受け入れて謝罪する人などいますが、後者でありたいなと。

話が逸れましたが、電車の手すりは、それを必要としている弱者がいるかもしれません
弱者が優先なことには変わりないので、もしどうしてもその手すりに輪行袋を括り付ける必要があるとしても、即座に動かせる体制ではいてほしいなと思います。

ちなみにですが、前輪しか外さない輪行袋を使っていて、実際に駅員から注意されたことがあるという人が何人かいました。
今回はしょうがないけど、次回からはちゃんとしてくださいみたいな扱いのようです。
これは必ずそういう扱いで済むとも言えなくて、実態としては見て見ぬふりのほうが多いと思います。
駅員もクレームを恐れて、余計なものには関わらない人は多いですし、そもそも注意するほど暇ではないことも。
知人の駅員は、聞いている範囲だと注意して乗車拒否したのが一回あると言ってました。

この件については、解体せずに袋に入れただけの外国人に対して、乗車拒否したと言ってましたが、自転車に詳しい人ではないので、イマイチどういう状態だったのかは不明です。前輪しか外してない輪行袋だったのか、それとも前輪も後輪も外さずに袋に包んであったのかは不明。

前輪しか外さない輪行袋でも問題なく使えるなどと、安易なことを書いているものも散見されますが、そういうのって駅員から注意されたらどうするんですかね。
問題なく使えるんだ!として、駅員とバトルでも始まるのかと思うと、何ともいたたまれない気持ちになるというか、駅員さんに同情します。
今回の車椅子問題のように、社会問題化してロード乗り全体が非難されることだけは避けたいところですが・・・

前輪しか外さない輪行袋の場合、シートポストを抜くことは必須になりますが、シートポストを抜くのと後輪外すの、どっちが楽かと聞かれたら当然後者。
サドルバッグが付いていたり、リアライトが付いていたりすると面倒ですし、理論上は抜いたシートポストも一つの袋に納めないといけないわけで、クソ面倒なのは目に見えていること。

実際に注意されたことがある人もいる中、素人だから、などと逃げを用意してリスク回避しているんでしょうけど、その程度の責任感で発信されると、不幸な結果になりうる人もいるので、本当に難しい時代だなと思います。
表現の自由には責任を伴うものですが、責任を放棄する人にでも自由は保証されている。
自己満足に付き合わされた人は被害を被っても関係ないという姿勢なんでしょうし。