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ブーブーさんとキーキーさん。

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前からどうにも腑に落ちないのが、警音器の話。

 

今回はそれについて。

下記判例は全て刑事事件です。
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警音器と判例

警音器については道路交通法上、54条2項に規定されています。

2 車両等の運転者は、法令の規定により警音器を鳴らさなければならないこととされている場合を除き、警音器を鳴らしてはならない。ただし、危険を防止するためやむを得ないときは、この限りでない

この規定、

 

・「事故を回避するためやむを得ない場合」

・「危険を回避するためやむを得ない場合」

 

でもなく、

危険を防止するためやむを得ない場合」

 

なんですよね。

 

警音器と「危険を防止するためやむを得ない場合」。
警音器の問題って、「法律上の話」と「マナー的な話」がごちゃまぜになっている気がする。 警音器と「危険を防止するためやむを得ない場合」 道路交通法54条2項では、危険を防止するためやむを得ない場合は使ってもよい。 2 車両等の運転者は、法令の...

 

例えば、歩行者が突如ノールック横断したのに対しギリギリで事故を回避できたとしたときに、「事故を回避」はできたけど状況自体は危険だったわけで「危険を防止」は出来ていない。

 

さて、警音器についての判例って、54条2項の但し書き(危険を防止するためやむを得ない場合)に当てはまるのに吹鳴しなかったことを過失として業務上過失致死傷(今でいう過失運転致死傷)で有罪にしているものはまあまああります。

 

逆に「道路交通法違反」として、54条2項但し書きに該当しないのに吹鳴したことで「警音器使用制限違反」として争った判例は、調べた限りこれくらい。

警音器を鳴らした当時の状況並びにその必要性の有無について、現認警察官及び被告人の供述によれば、駐車中の車で作業していた三、四人の人夫があったことが認められる上、その側方は、約4mに狭められていたのであるから、約25キロの速度で進行中、三、四人のうち一人が上を見ながら道路中央に出たのを見て、ブレーキをかけると共に、警音器を鳴らすのは当然の措置であり、更に相手方に警戒させるため警音器を鳴らしたとしても、必ずしも違法があったとは言えない。

 

仙台簡裁 昭和37年11月13日

「更に相手方に警戒させるため警音器を鳴らしたとしても、必ずしも違法があったとは言えない」という点はやや気になります。
警音器の「道路交通法違反」の判例を調べても、「標識があるのに鳴らさなかった」ならいくつかは見当たりますが、54条2項の違反について争った判例は上くらいしかヒットせず。

 

ここまでが前置きです。
疑問に感じていることについて、具体的な判例を見ていきます。

もし「鳴らしていたら」?

まずはいわき簡裁 昭和43年1月12日。

 

オートバイが自転車を追い抜きしようとしたところ、自転車がノールックで小回り右折を開始したため起きた事故です。

※被告人車が4輪車と勘違いしてしまい、ちょっとデカくなってますが自動2輪車です。

 

自転車がノールックで小回り右折を開始したとき、両者の距離は3m。
側方間隔は2m。
被告人が警音器を鳴らさなかったことについて過失があるとして起訴されています。

次に被告人が警音器を鳴らさなかったことは確かであるが、この場合警音器を吹鳴する義務があるかどうかについてみるに、現場は公安委員会によって指定された警音器を吹鳴すべき場所ではなく(道路交通法54条第1項参照)、また同条2項但書の「危険を防止するためにやむを得ないとき」というのは単に安全確保という消極的な理由にすぎない場合ではなくて、危険が現実、具体的に認められるような状況下でその危険を防止するためやむを得ないときというほどの意味であるが、本件におけるように単に交差点付近で先行自転車に接近しこれを追い抜く場合に、状況の如何を問わずに常に必ず警音器を吹鳴すべき義務ありとは右方の趣旨からみて到底考えられないのであり、さらに具体的諸事情を考慮し、そのような状況のもとで危険が具体的に認められる場合にのみ警音器吹鳴義務があるものと考えるべきところ、本件においては、自転車に乗車していたSは高校生であり、自転車には後写鏡も設置され、本件の道路の交通はかなり頻繁であること、しかしSは後方を見るとか右折の合図をするなど進路変更、右折などのきざしを何らみせることなく交差点の手前側端付近まで直進していたこと、被告人は自転車との車間距離を約2m置いて進行しており、当時反対方向からの交通もなかったから交差点付近で追い抜く場合にもこの車間距離を保つことができたと推測できることなどの事情に鑑み、警音器を吹鳴すべき危険な状況であったとは認めがたく、本件の具体的場合においては、自動車運転者として警音器を吹鳴すべき義務は存しないものと考えられる。

 

もちろん被告人が危険を感じなくても予防的措置として警音器を吹鳴していれば、或いはSも被告人の接近に気づき事故を避けえたかもしれない。けれども前述のとおり本件の具体的事実関係をもとにおいて警音器吹鳴の注意義務が客観的に認められないから、Sの傷害の結果を被告人に帰せしめることができないのは当然である。

 

いわき簡裁 昭和43年1月12日(刑事)

「予防的措置として警音器を吹鳴していれば」としてますが、仮にですよ。

もし「予防的措置として警音器を吹鳴し」、自転車がノールック右折を控えたため事故が起きなかった場合、被告人は道路交通法54条2項の違反として処罰対象・非難の対象になるのでしょうか?

もちろん、何ら右折の兆候が見られなかったのだから、被害者が小回り右折するのか、直進するのかはわからない。
むしろきちんと2mの側方間隔をあげていたわけで追い抜き方法としては非難する点がない。

 

同じ趣旨の判例として奈良地裁葛城支部判決があります。

 

事故態様はかなり似ています。

被告人は、同人が一見して年寄であると認めたが、ふらつくことなく安定した歩行状態で直進しており、同人の進路前方に進行を妨げる障害物もなく、同人が進路を変更して右折するなどの気配は全く認められなかつた被告人は、同人がこのまま直進するものと信じ、同人と接触および風圧による危険を与えることのないよう安全な間隔を保つて追抜くべく、自車を中央線寄りに寄せ、警音器を吹鳴することなく前記速度で進行した。しかるに前方約20mに迫つた地点において、予想に反して同人が何らの合図もなく後方の安全を確認することなく(前記三郷町に至る道路に進入すべく、但しこの点については被告人にわからなかった)突然右折を開始し、右斜めに国道を横断しはじめたのを認めた。そこで同人との衝突を避けるため急制動の措置を講じると共に、対向車もないことから突嗟に同人がそのまま横断を継続するものと判断し、同人の横断した後方を通過すべく急拠ハンドルを左に採つたが、至近距離に迫つて同人がハンドルを回転させ引き返したため、自車右前部を前記自転車後部左側に接触させ、同人を路上に転倒させた。

裁判所の判断。

自動車運転者が、警音器の吹鳴義務を負う場合は、法54条1項及び2項但書の場合に限られ、右各場合以外に警音器を吹鳴することは禁止されているところ、本件事故現場付近は、同法54条1項によって警音器を吹鳴すべき場所でないことは明らかである。また同2項但書によって警音器を吹鳴すべき義務を負担する場合は、危険が現実具体的に認められる状況下で、その危険を防止するため、やむを得ないときに限られ、本件におけるように先行自転車を追い抜くにあたって、常に警音器を吹鳴すべきであるとは解されず、追い抜きにあたって具体的な危険が認められる場合にのみ警音器を吹鳴すべき義務があるものと解される

 

ところで、被告人は、司法警察員に対する供述調書第11項において、「あの様な場合警音器を有効に使用して相手に事前に警告を与えておけばよかつたのですがこれを怠り」と述べ、更に検察官に対する供述調書第3項において、「私もこの自転車を追抜く際、警音器を鳴して相手に私の車の近づくのを知らせる可きでした。そうしてそれからスピードを落して相手の様子を良くたしかめ大丈夫であると見極めてから追抜きをする可きでした。それを相手が真直ぐ進むものと考え相手の動きに余り注意しないでそのままの速度で進んだのがいけなかつたのです。」と述べ、自ら自己の注意義務懈怠を認めている如くであるが被告人に過失があつたか否かの認定は、事故当時の道路、交通状態、事故当事者双方の運転状況等により客観的に判断すべきものであるから、これらの被告人の単なる主観的意見によつて、直ちに被告人に過失ありと認定できないこと論を俟たない。

もちろん被告人が危険を感じなくとも被告人が右に供述している如く警音器を吹鳴していれば、同人も被告人の接近に気付き事故を防止することができたかもしれない。しかし、前記認定のとおり警音器吹鳴の義務が客観的に認められないから、同人の死亡の結果を被告人に帰せしめることはできない。

 

奈良地裁葛城支部 昭和46年8月10日

こちらもいわき簡裁判決同様、「警音器を鳴らしていたら事故は防げたかも」と説示されています。

同じく仮に「予防的吹鳴」をした結果、事故が起きなかったとしたら、被告人は道路交通法54条2項の違反として非難されるのでしょうか?

ここがどうにも気持ち悪いというか、少なくともこの2つの判決においては、警察と検察から「なぜ鳴らさなかった!」と責められている。
けど仮に吹鳴して事故が起きなかった場合、吹鳴したことが非難の対象になるのか?と考えると、「変」じゃないですかね。

 

もちろん、「結果」を知った上での話をしている点でビミョーなんでしょうけど、予防的に吹鳴したら「道路交通法違反」だと非難され、予防的に吹鳴しなかった結果事故が起きたらそれはそれで「業務上過失致死傷」として検察から追及される。

 

不思議です。
そうすると、単発軽めの予防的吹鳴って違法性を問えるのか疑問。
構成要件該当性のみならず非難可能性を考えた場合、だいぶビミョーな気がします。

 

さらに言うと、このような事故態様の民事訴訟の時に被害者側から

いろんな人
いろんな人
なぜ追い抜きする際にクラクションを鳴らさなかったのですか!
過失ですよ!
クラクション鳴らしていたら右折を控えたのに!

と非難される。
そういう判例はまあまあ見かけます。
(ノールック右折するほうが問題ですが)

けど、よくよく考えてみればわかるように、仮に「ノールック右折」をする気がないのにクラクション鳴らされたら、今度は激オコするわけでしょ。

どうも支離滅裂な気がしてまして。
民事判例をみても「追い抜き・追い越し時に警音器を吹鳴しなかった過失が認められる」なんてものは普通にあります。
民事責任上「吹鳴義務があった」とされながら、刑事責任としては「道路交通法54条2項の違反だ!」なんてされたら、もはやどうしたらいいのかわからない。

54条2項でいう「危険」

このような判例があります。

 

この事故は片側二車線の国道を走行中、交差する非舗装路(登り勾配5.5%)を前屈みの姿勢で下向きに自転車に乗っている被害者を発見。
発見した地点は、41m手前。

 

交差道路から進行する自転車がいわゆる「ノールック横断」のような形で国道に進出してきた事故になります。

 

被告人の主張としては、交通頻繁な国道に自転車が進出する際には一時停止などするはずだとして予見不可能だし、信頼の原則を適用すべきと主張。

 

しかし裁判所は信頼の原則を認めませんでした。

交通事故との関連において、信頼の原則を定義するならば、交通関与者の一方が他方の者の適切な行動をすることを信頼することが、その場合相当であるから、そのため、他人が交通秩序に違反するような不適切な行動に出ることを念頭において、行為をする必要はないとする原則であるということができる。したがつて、右のような意味における信頼は、法的評価(すなわち信頼の相当性という評価)を受けているものであるから、例え自動車運転者において、被害者の交通秩序を守るという適切な行動を信頼したところ、被害者が不適切な行動に出た結果、交通事故が発生した場合、その当時におけるところの道路状況、交通量、被害者に対する認識の態様、程度、その他から、その信頼そのものが相当でなかつたとするならば、その自動車運転者は、過失の責任を免れ得ないものであり、前示各証拠から審究するとき、被告人は、本件事故現場附近を日ごろ往来し、附近の道路状況、その他の諸状況を十分熟知していたものと推認でき、事故現場附近の道路関係は、別紙のような状況にあり、被告人は時速約60キロメートルの速度で押入方面から川崎方面に向け0.717%ないし0.55%の下り勾配の舗装の国道53号線道路を走行中、国分寺方面から河辺方面へ向けて5.5%の上り勾配の非舗装道路を河辺方面に向け前屈みの姿勢で自転車を運転して登つて来る被害者を約41m手前で確認していることから、被害者が登り坂を登り切つた後、本件国道上に進出する以前において、一旦停止するとなれば、被害者は運転中の自転車から降りなければならず、そのため降車後に再び自転車に乗り、以後河辺、または津山方面に向けて進行するならば、それぞれに下り勾配となる。したがつて、自転車乗りとしては国道まで自転車を押して登つて来たのならいざ知らず、喘ぎながら上り勾配を登つている以上その儘、乗車を継続のうえ、河辺、または津山方面へ向け下り勾配の道路を走行するものと予見し、または予見し得たと認定することが被告人に過酷な注意義務を課するものということはできなく、前記のような状況で自転車乗りの被害者を発見した瞬間に自動車運転者としては、当然に、前方の自転車が自己の進路前方の道路上に進出することの予見にしたがい、このとき直ちに自車を制動するなり警音器を吹鳴するなりして、事故防止のための措置を講じていたとすれば、本件交差点の東、西、南、北の各道路の状況、被害者の自転車の進行速度、位置などに照らして、本件の如き衝突事故の発生を未然に防止しうべきものであつたことは極めて明かであることが認められる。
車両の運転者に対しては、運転免許の取得が義務づけられ、その際に交通秩序に関しての法令試験の合格が要求せられ、また、これらの者は身をもつて交通秩序に習熟する機会にもめぐまれているけれども、被害者のように自転車乗りは交通秩序に習熟する度合が車両運転者に比しはるかに少なく、自転車乗りの保護が不十分な現状においては、たとえ共用道路であり、かつ、自動車の交通が頻繁で自動車の専用に近い性質をもつ道路上における事故であつても、前記のような自転車に乗り前屈で登つて来る被害者を認識し、または認識し得た場合に、警音器を吹鳴するとか、かつ、また減速徐行をするとかいう被害者に対するなにがしかの配慮をなす特定の行動に出でていないことが認められる本件被告人においては、もはや被告人の前示過失を否定することはできなく、したがつて、前記認定のいずれの点からみても弁護人主張の信頼の原則の適用の主張は、その相当性を欠くものとして認めることができない。

 

岡山地裁津山支部 昭和46年6月23日

自転車が一時停止せずに交差道路に進行する「可能性(予見)」から警音器吹鳴をしてもよい場面だとしている。。

54条2項でいう「危険」とは、まだ表面化していない予見可能な危険を広範囲に含みうるとしか。
「危険を防止」だから当たり前か。

道端を下を向いて歩いていた小学生に対し、クルマの気配に気がつかず直前横断することが予見可能だから54条2項但し書きに該当し警音器吹鳴義務があったとした判例(東京高裁S39.3.18)や、中央分離帯の切れ目で横断待ちしていた歩行者に対し、クルマの存在に気がつかず直前横断リスクが「予見可能」なので警音器吹鳴義務があったとした判例(大阪高裁S48.10.30)もあることを考えると、それなりに広い意味で「予見可能な危険」と捉えているような気がします。

そういう意味では、後退する際に警音器を吹鳴する義務があったとした東京高裁 昭和42年2月14日判決なんかもそうですが、具体的危険の中には予見可能な危険(現に危険が表面化していない)を広範囲に含みうるのかと。

二回クラクション鳴らしてますが…

次の判例。

 

この判例は追い越しする前に2回警音器を鳴らしたものの先行オートバイ(動揺性など見られない)が左側に避譲しなかったため、1mの間隔を置いて追い越ししたものの起きた事故
検察官の主張としては「継続的に警音器を鳴らす注意義務があった」ですが、裁判所は否定。

大型貨物自動車を運転して時速約40キロメートルで右国道207号線を西進し、右土園川橋の右土園川橋の東方約90mの地点で、前方約26.5mの道路左側を時速約30キロメートルで同一方向に進行中の被害者A運転の自動二輪車を認め、同橋の約41m東方に達した際、右A車を追越すべく、自車の前方約7.9m、道路の中央線から約1.9m左側を進行していた右A車に対し、警笛を二回吹鳴して追越しの合図をし、右A車が進路をやや左寄りにとつた程度で避譲せず、なお前記速度で直進していたが、対向車等もなかつたところから自車の進路をやや右寄りにとつて追越しを開始し、同橋の東端から西方約6.25mの同橋上で右A車と並んだが、その際の自車と右A車との間隔は約1mであつて、自車は車体の3分の1位が中央線を越えており、一方A車は中央線の約2.6m左方に位置し、中央線の約2.6m左方に位置し、同車から道路左端までは約3mの余裕があつたこと、そして被告人は、そのまま進行しても安全に追越しうるものと思い、以後右A車の動静を注視せずにそのまま追越しを続けていたところ、右A車が被告人車に接近し始め、同所から約14m余進行した道路左端から約4m内側の地点で右被害者が被告人車の左側面に接触、転倒し、被告人車の左側後部車輪で轢かれ、即死するに至つたこと、

およびこれより先、右被害者は終始うつ向きの姿勢で自動二輪車を運転しており、被告人が警笛を吹鳴した後も前述のとおり避譲せず、進路を道路の中心線からみてやや左寄りにとつたのみで直進を続けていたが(但し、土園川橋上は前述のとおり道路の幅員が広くなつているので、相対的には道路の中央寄りに進行したことになる。)、しかし時速約30キロメートルの比較的安定した速度で進行し、その運転自体には不安定な挙止はなく、進路を右に転ずるような素振りもなかつたことが認められ

(中略)

なお検察官は、予備的訴因の追加請求と題する書面において、本件事故現場の道路は、土園川橋付近において道路の幅員が広くなつており、また同橋の両端にはそれぞれ南北に道路が交差していたのであるから、幅員の狭い道路から広い道路に進出した右A車が道路の中央寄りに進出してくること、あるいは交差点で自車の前方を右折してくること、あるいは被告人車のような大型車が後方から進行してくる場合、A車のような自動二輪車は往々これに吸引されたり、ハンドルをふらつかせたりすることも予想されるので、被告人としては、継続して警笛を鳴らして自車の進行を知らしめて右被害者に注意を喚起し、同車を左方の安全な場所に避譲させる等の注意義務があつた旨主張し、本件事故現場付近の道路の状況が右主張のような状況であつたことは前叙のとおりであるが、しかし被告人車が右A車と並ぶまでの間に、右A車に不安定な運転状況あるいは右折するようなきざしがなかつたこと、当時対向車両等がなく、右A車を左側に避譲させなくても、その右方から同車を十分追越しうる状況にあつたこと、および被告人車は時速約40キロメートル程度の速度で、右A車との間に約1mの間隔を保ち、且つ同車の左側には約3mもの余地のある状態で追越しを始めていたことは前叙のとおりであるから、検察官主張のように、右A車が被告人車の進路に進出したり、あるいは被告人車に吸引されるような事態が予測されるような状況であつたとは認め難く、また大型車の接近によつて右A車のような自動二輪車の運転者が狼狽し、接近接触する虞は全くないとはいい難いが、しかしかかる程度の危険の回避は、むしろ被追越車において負担すべきものと解すべきことも前叙のとおりであつて、要するに本件においては、現場の状況、被告人車と右A車との位置関係、および右A車の動静からみて、同車を追越すのに特に危険の予測される状況にあつたとは認め難いのであるから、追越しの場合における警音器の吹鳴義務を規定せず、むしろ車両の運転者は法令の規定により警音器を鳴らさなければならないこととされている場合を除き警音器を鳴らしてはならない、ただし危険を防止するためやむを得ないときはこの限りでない旨規定している現行道路交通法の規定の趣旨に徴しても、被告人において更に継続的に警音器を吹鳴すべき注意義務があつたとは認め難く、また前記の諸事情および本件道路の交通量に徴し、被告人に右A車を更に左方に避譲させた後追越しにかかるべき注意義務があつたものとも認められない。

 

結局本件事故は、被告人において警音器を2回吹鳴し、現場は見通しのよい道路であつて、昼間であり、右被害車にはバックミラーもついているのであるから、右被害者としては、後方から被告人車が接近してくることに当然気がつかなければならないはずであり、且つ自車の右側を追越す被告人車との間に約1m、自車の左側に約3mという相当な余裕、間隔があつたのであるから、その間を進行しさえすれば被告人車と接触する等の危険を生ずる虞もなかつたのにもかかわらず、自車の操車を誤つて被告人車に接触した同人の一方的過失によつて発生したものというべきである。

 

福岡高裁 昭和47年11月13日

さて、疑問。

何ら動揺性も見られないオートバイに対し2回クラクションを鳴らしてますが、これは54条2項の違反になるのでしょうか?
検察は「もっと鳴らすべきだっただろ!」と追及してますが、むしろ2回鳴らしたことと側方間隔を1m開けていた点から「それ以上は被害者の責任」としています。

上のいわき簡裁判決や奈良地裁葛城支部判決では「自転車の動静に不安定性などもなく警音器を吹鳴する義務はなかった」としてますが、現に鳴らした場合、違法性を問えるのすかね。
現実問題として、この福岡高裁判決については鳴らしたことはむしろ被告人に有利に働いてますし。

 

業務上過失致死で無罪判決が出たのに、「道路交通法違反(警音器使用制限違反)」だとされたらもはや支離滅裂です。
警察も検察も「もっと鳴らすべきだっただろ!」と過失責任を追及しながら、一方では「不安定性もないのに鳴らしやがって」として道路交通法違反だとしたら、もう何がなんだかわからない笑。

何ら動揺性もないけど…

次の判例。

 

幅員6.1mの道路を前車に続いて時速40キロで進行し、前車(道路左端から1mを進行)を追い越ししようとしたところ、追い越し中に前車が右に寄せてきたため、慌てて右にハンドルを切ったところ、道路右端から0.5mのところを対進する自転車(雨天、傘さし)と衝突したした事故です。
被告人車は車両幅1.7m。

 

クルマがクルマを追い越し中に、先行車が右に寄せてきた事例です。

所論は、仮りに被告人が本件追越し運転を行うに当り、前車に対し警音器吹鳴による追越しの警告を与えなかったとしても、追越しの方法を規定する道路交通法第28条は、旧道路交通取締法施行令第24条第2項(廃止)と異なり、後車に追越しを前車に警告するための警音器吹鳴の義務を課していないのであるから、原判決が被告人に警音器吹鳴義務の懈怠ありとして本件追越し事故に対する過失の責を問うたのは、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令適用の誤を犯したものであるというにある。
しかし、車両運転業務の危険性にかんがみ、車両の運転者は人の生命、身体に対する危害の発生を防止するため法律上、慣習上、もしくは条理上必要な一切の注意をなすべき義務を負い、法令上明文がないからといって、この義務を免れるものではない。本件追越し運転の際における車両交通の状況は前段摘示のとおりであって、右状況下において追越しをするについては、後車の運転者たる被告人において先ず警音器を吹鳴して前車に追越しを警告し、追越しの安全を確保した上追越しを開始すべき注意義務があるものと解するのが相当である。

 

東京高裁 昭和41年7月4日

※旧道路交通取締法施行令第24条第2項ですが、旧法時代(昭和35年以前)には追い越しする後車がクラクションを鳴らすことは義務でした。

 

先行車が27条2項(追いつかれた車両の義務)を果たすことを信頼することは許されないとして警音器吹鳴義務を認定しています。
先行車には何ら動揺性がなかったものですが。

事実上、先行車に何らの動揺性もないのに吹鳴義務を認定してますが、どのように評価するべきでしょうか?

不安定性もない先行車を見て、追い越し時に吹鳴したら道路交通法違反(使用制限違反)になるのでしょうか?

なんか「変」

適法に通行する自転車に対し、クラクションを鳴らすのは問題だという点については、おそらく全自転車乗りが共通認識としてあるでしょう。
あんまり気分がいいものではない。

 

ただし、「吹鳴すべき業務上の注意義務はなかった」とする判例にしても、最後には「吹鳴しても良かったよね」と受け取れるような説示をしている上、仮に吹鳴したことにより「ノールック右折」が起きなかった場合、道路交通法54条2項の違反になるのかはだいぶ疑問。

 

結果論での話になっちゃう点では、そもそもの観点がおかしいのかもしれませんが、何ら動揺性が見られない状況で吹鳴義務を認定した判例やら、クラクションを二回鳴らしたことと側方間隔をきちんと取ったことから無罪にした判例まであるので、なおさらよくわからない。

 

吹鳴することが「後続車の存在を認識させること」にあるとしたら、要は鳴らした後にきちんと側方間隔を取って追い越しするなら非難の対象にならない気がするのね。
鳴らした上に即座に至近距離追い越しするようなのは当然アウト。

 

そもそも、

・鳴らしちゃダメなのに鳴らした(道路交通法違反)
・鳴らすべき業務上の注意義務があるのに怠った(業務上過失致死傷)

争っている内容が真逆ですが、

 

「吹鳴すべき業務上の注意義務違反はなかった」と、「吹鳴していたら道路交通法違反」は必ず一致するとも言えないような。
構成要件が違うので、違法性を評価する基準がそもそも違いますし。
きっちりとした境目があるとは思えないので、どうしても「警音器使用制限違反」って認定しづらいような気がします。

 

なお54条2項は過失犯の処罰規定はなく、故意のみです。

 

ちなみに警察が大好きな「執務資料」には「例の民事判例」が掲載されています。
なので警察の判断基準には「例の民事判例」も含まれてしまう。

 

なお、警音器の判例で注意しなければならないのは、昭和35年以前の「道路交通取締法」時代、追い越しする後車が警音器を吹鳴することは「義務」でした。

第24条(追越の方法)
2、前項の場合においては、後車は、警音器、掛声その他の合図をして前車に警戒させ、交通の安全を確認した上で追い越さなければならない

合図を受けた前車は左側端に寄る義務があった。

24条
3 前項の合図があったことを知った場合において、前車が後車よりも法第16条第1項および第2項の規定による順位が後順位のものであるときは、前車は、後車に進路を譲るために道路の左側によらなければならず、その他のときは、追越を妨げるだけの目的をもって後車の進路を妨げる行為をしてはならない。

イメージはこう。

 

道路交通法27条「追いつかれた車両の義務」は「徐行や一時停止義務」を負うのか?
ちょっと前の続きです。 27条2項「追いつかれた車両の義務」は徐行や一時停止義務を負うのか?という話がありますが、ちょっとこれについて掘り下げてみます。 なお、話は長いので興味がない人はスルー推奨。 (他の車両に追いつかれた車両の義務) 第...

 

被告人は、自動車運転者として、原判示自動車を操縦し、原判示京浜第一国道上を横浜方面から東京方面に向け時速50キロ以上にて進行し、前方右側に広場ようのもののある原判示場所に差蒐つたところ、自己の進路前方40数mの附近に自転車に乗り同一方向に向け進行中の被害者のいるのを発見し、これを追越そうとしたのであるが、一般にかかる場合には、右自転車に乗つた人が後方からの自動車の進行に気付かず、時に進路を右側に執り、道路を横断することのあることは、往々見受けられるところであるから、自動車運転者である被告人としては、右の場合警音器を十分吹鳴して前示被害者に警告を与え、同人を道路左側に避譲せしめることは勿論、同人の動静に注意し、臨機の措置を講じ得るよう自動車の速度を減速した上、両者の間隔その他交通の安全を確認してこれを追越すべき業務上の注意義務があるのに拘らず

 

東京高裁 昭和35年10月17日

「十分鳴らして左側避譲せしめることは勿論」とありますが、今の時代に十分鳴らしまくって避譲せしめるとだいぶヤバい。
当時の法律を理解しないまま判例を読むと、大失敗します。

 

でもこの時代、このような判例もある。
「後車の合図を先行車が確認するまでは追い越し禁止」という見解もありました(東京高裁 昭和25年11月2日、大審院 昭和22年1月24日等)。

およそ追越の場合においては、交通の安全を確認しなければならないことは、右法条の明記するところであり、そのために追い越そうとする後車は警音器を鳴らし又は掛声その他合図をして前車に警戒を与えることを要し(第2項)、右合図があったときは前車は避譲する等して後車の進路の障害にならぬよう措置すべき義務をもっている(第3項)のを見れば、後者がなした合図を前者が気がつかぬときは止むを得ない場合を除いては追い越ししてはならぬものと解すべきである。

 

東京高裁 昭和25年11月2日

先行車が後車の追い越し意志に気がついて避譲するまで追い越し禁止という見解もあったみたい。

 

で。
クラクションについての判例って一つ見てもなんだかよくわからない。
「吹鳴義務はなかった」とした業過判例についても、じゃあ鳴らしていたら道路交通法違反なのか?という疑問もあるし、民事訴訟では「なぜ鳴らさなかった!過失ですよ!」と責められる。

このくだりがどうにも意味がわからないのですが、鳴らさないまま何も起きないのがベスト。
仮に軽く単発ホーンを使ったとして、即座に道路交通法違反(使用制限違反)になるとも思えませんが、なんにせよ追い越し、追い抜き時は側方間隔をしっかり取ってくれればそれで十分としか言えません。

 

インターネット上ではすぐに「使用制限違反だ!」と発狂する人もいますが、上で書いたような理由から即座に違反だとすることにはだいぶ疑問があるし、そもそも警察が道路交通法関係で頼りにするのは「執務資料」。
執務資料に掲載されている「例の民事判例」がある以上、切符を切る可能性はほぼありません。
安易に使うべきではないし、使わずに済むほうが無駄なトラブルを「防止」するのは間違いないですが。

 

車が自転車を追い越すときに、クラクション(警音器)を鳴らすのは違反なのか?
先日書いた記事で紹介した判例。 自動車運転者が自転車を追い越す場合には、自動車運転者は、まず、先行する自転車の右側を通過しうる十分の余裕があるかどうかを確かめるとともに、あらかじめ警笛を吹鳴するなどして、その自転車乗りに警告を与え、道路の左...

 

自転車のノールック右折、ノールック横断の判例はまあまあ見かけますが、ノールック右折やノールック横断しておいて「なぜクラクションを鳴らさなかった!過失だろ!」と主張するほうが問題なんじゃないかな。
そしてノールック横断を警戒してクラクション鳴らしたら、今度は激オコされるという…
支離滅裂な世界にしか思えません。


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