以前書いたように、横断歩行者妨害(及び事故)の対策は減速接近義務違反の調査と取締りが大事で、一時停止率調査よりも減速接近義務違反調査をすべきだと思っていますが、
その理由は、一時停止率調査と横断歩行者事故の件数に相関性がみられないから。
長野県 | 新潟県 | |
人口(R4年8月) | 2,007,347 | 2,129,722 |
一時停止率(R5) | 84.4% | 23.2% |
一時停止率(R4) | 82.9% | 25.7% |
歩行者妨害事故(死亡者) | 246(2) | 204(2) |
※ただし事故数には「横断歩道がない交差点(38条の2)」を含んでいる可能性もあり。
ところで、減速接近義務違反のみの取締り事例を聞いたことがない。
理屈の上では、横断歩行者が全くいなくても減速接近義務違反は成立します。
38条1項前段が規定された昭和46年警察庁の解説↓
車両等が横断歩道に接近する場合の義務に違反した場合には、それだけで第38条第1項の違反となる。また、横断歩道の直前で停止できるような速度で進行してきた車両等が、横断歩道の直前で一時停止し、かつ、歩行者の通行を妨げないようにする義務に違反した場合も同様である。
道路交通法の一部を改正する法律(警察庁交通企画課)、月刊交通、道路交通法研究会、東京法令出版、昭和46年8月
減速接近義務違反の取締り要領なるものを見つけたのですが…
減速接近義務違反の取締り要項
先に断っておきますが、1987年(昭和62年)の内容なので現在も同じなのかはビミョーです。
現在は改定されていると信じたいところ。
内容は関東管区警察学校教官室が書いたもの。
第4 取締実施要領
1 横断歩道接近時の安全速度違反(法38条1項前段)
(1)取締対象車両
ア 相当な速度(おおむね50キロメートル以上)で進行してきて歩行者を認め急ブレーキをかけたところ、横断歩道内で停止したもの(スリップ痕跡等で立証可能な場合)。
イ 横断歩道外に歩行者がいるとき、横断歩道の手前側端から20メートル以内の地点を50キロメートル以上の速度で通過したもの(速度測定器による測定結果による)。
法38条1項後段に該当する場合は、立証上容易な後段で処理のこと。(2)立証上の要点
ア 歩行者の特定(住所、氏名、年齢等がとれないときは、人相、特徴等)
イ 現認位置及び違反地点までの距離
ウ 歩行者の位置
エ 違反車両の目測速度及び違反者の自認速度
オ 歩行者及び横断歩道の認識の有無(過失についても処罰規定がある)
カ 違反の動機及び弁解の要旨関東管区警察学校教官室 編、「実務に直結した新交通違反措置要領」、立花書房、1987年9月
その他「図」による説明と、38条1項前段に関係する判例として「東京高裁 S45.11.26」、「東京高裁 S46.5.31」、「福岡高裁 S55.4.15」の判決要旨を紹介している。
繰り返しますが、古い資料なので今も同じかはわかりません。
ツッコミどころが満載過ぎてビックリします。
①なぜに「時速50キロ以上」に限定したような内容なのか?
「横断歩道の手前側端から20メートル以内の地点を50キロメートル以上」だと既に停止距離(空走距離+制動距離)からしてもムリが…
②なぜに「歩行者が付近にいる前提」なのか?
歩行者が全くいなくても、横断歩道の見通しが悪いケースが想定されていない(そのわりに東京高裁S46判決を引用…)
③測定器による計測はマストなのか?
④「立証可能な後段」と本音が出ちゃっている。
たぶん、現在は運用が違います。
なぜなら、今は横断歩行者に対する人定確認を必要としないはずなので、その点については運用が違う。
しかし、前段の減速接近義務違反は取締りする気がないようにも見える内容なので、心配になる。
前段の問題点
道路交通法は刑法なので、青切符で否認された場合には理屈の上では起訴して裁判することになります。
それに備えて違反事実を立証する必要がありますが、
第三十八条 車両等は、横断歩道に接近する場合には、当該横断歩道を通過する際に当該横断歩道によりその進路の前方を横断しようとする歩行者がないことが明らかな場合を除き、当該横断歩道の直前(道路標識等による停止線が設けられているときは、その停止線の直前。以下この項において同じ。)で停止することができるような速度で進行しなければならない。
これの解釈として、このような判例があります。
横断歩道直前で直ちに停止できるような速度に減速する義務は、いわゆる急制動で停止できる限度までの減速でよいという趣旨ではなく、もつと安全・確実に停止できるような速度にまで減速すべき義務をいつていることは所論のとおりである。
大阪高裁 昭和56年11月24日
この解釈は妥当でしょう。
けど、ここに矛盾がある。
例えばですが、急ブレーキにより停止できたけどまあまあのスピードだったとする。
38条1項前段は「停止できるような速度」であることを求めている以上、停止できたのに違反…とは解釈できなくなりますよね。
法の趣旨は「急ブレーキではなく安全に停止できる速度」。
しかし「急ブレーキで止まれた」なら条文上は違反にならない。
これってまあまあ落とし穴だと思ってまして、有名な東京高裁S46.5.31判決は「時速20キロ以下で接近する注意義務があった」としている。
この判例は運転者が歩行者を発見した地点から逆算して、限界停止速度を算出したから「時速20キロ以下なら事故を回避できた」になってますが、
対向車線が渋滞停止していて、横断歩道まで7m強の地点で時速20キロはちょっと危ないのよね。
けど、裁判上は「時速20キロ以下なら停止できた」になるため、この時点で時速20キロであれば38条1項前段に違反しないという解釈になってしまう。
で。
冒頭の大阪高裁判決はどのような事故だったか?
信号機がない交差点で2人乗りのオートバイが、一時停止を無視して交差点に進行。
時速40キロから25キロに減速しています。
時速25キロの停止距離が約11mになるのですが、「時速25キロでは速すぎだ!もっと減速する義務があっただろ!」と検察官が主張しても、裁判上は具体的に何キロまで減速する注意義務があったのかを検察官が立証するしかなく、判断がちょっとおかしくなるのよ。
検察官が原審において訴因として主張した注意義務即ち、道路交通法38条1項に規定する「横断歩道の直前で停止することができるような速度で進行しなければならない。」との注意義務は、急制動等の非常措置をとつてでも横断歩道の手前で停止することさえできる速度であればよいというようなものではなく、不測の事故を惹起するおそれのあるような急制動を講ずるまでもなく安全に停止し得るようあらかじめ十分に減速徐行することをも要するとする趣旨のものであり、したがつて、時速25キロメートルでは11メートル以上手前で制動すれば横断歩道上の歩行者との衝突が回避し得るからといつて右の速度で進行したことをもつて右の注意義務を尽したことにはならない、と主張する。
よつて按ずるに、検察官が訴因とした本件交差点手前において交差点の出口にあたる南側横断歩道直前で直ちに停止できるような速度に減速する義務は、いわゆる急制動で停止できる限度までの減速でよいという趣旨ではなく、もつと安全・確実に停止できるような速度にまで減速すべき義務をいつていることは所論のとおりである。ただ、被告人は、本件交差点に進入するにあたり本件交差点手前において、一応時速40キロメートルから時速25キロメートルにまでは減速しているのである。だとすると、その程度の減速では十分ではなかつたのかどうかが問題となるが、本件全証拠によつても、右の程度の減速では不十分であつたとか、時速何キロメートルまで減速すれば本件事故を回避できたかを確定することはできないのである。従つて、単なる減速義務が訴因となつている限りは、原判示のとおり被告人に有利に解し、横断歩道手前で停止できる最高限度のスピード(本件では被告人が現に出していた時速25キロメートル)とその場合の制動距離(本件では原判示のとおり11メートル)を前提にして、回避可能性の有無を判断せざるをえない。原判決は、このようにして、制動義務の発生する地点(被害者の位置より11メートル手前)では、すでに被告人車は転倒していたから回避可能性はなかつたと判断しているのである。右判断は、その限りでは正当であり、所論のような事実誤認はない。大阪高裁 昭和56年11月24日
この判例、ちょっとややこしいことに被告人がブレーキングすべきタイミングより前に転倒している。
転倒してツルツル滑って横断歩行者に衝突しているので、なんてバカな事故なんだと呆れるしかない。
しかも、転倒した理由が酷すぎて…
何の争いをしているのやら…
所論はまた、Aに陰部をくすぐられてのけぞつたため自車操縦の自由を失い転倒した旨の被告人の公判供述は信用できず、被告人車転倒の真相は、Aが被告人の腰に回していた両手を動かしその腰を抱え直したのを被告人がくすぐつたく感じたと認めるが相当であり、この点被告人の公判供述どおりに認定した原判決は事実を誤認している、と主張する。
この判例、結局は被告人の減速接近義務違反ではなく、一時停止標識を看過して進行したことを過失として有罪にしてますが、38条1項前段の解釈を「急制動で停止できる限度までの減速でよいという趣旨ではなく、もつと安全・確実に停止できるような速度にまで減速すべき義務をいつている」と言いながらも、裁判上は限界停止速度が何キロだったか、つまり急ブレーキで停止できたのは何キロだったのかの話になってしまう。
条文上、確かに「停止できる速度」を要求しているので、急ブレーキだろうと止まれたなら違反がないことになってしまう。
けど法解釈上、本来は「急制動で停止できる限度までの減速でよいという趣旨ではなく、もつと安全・確実に停止できるような速度にまで減速すべき義務をいつている」。
ここに矛盾があるような気がするのよ。
そうなると38条1項前段「だけ」での取り締まり基準はかなり難しくなってしまう。
そうすると、関東管区警察学校教官室が示した取締り要領のような解釈になる面も理解しますが、横断歩道手前20m地点で時速50キロ以上となると、急制動で停止できるかどうかの話になってしまい、法の趣旨と取締りが乖離してしまう。
現在も同じ基準とは考えにくいけど、減速接近義務違反「のみ」の取締り事例を聞かない理由はここにあるのかもしれません。
法の趣旨は「安全に停止できる速度」。
しかし法解釈上、急ブレーキで停止できたなら違反とは言えない。
取締りしにくい規定
例えば、歩道を通行する自転車には徐行義務がありますが、徐行義務違反ってよほどのスピードじゃないと取締りしにくい。
特定小型原付に最高速度表示灯を義務付けした理由って、「徐行義務」だと取締りしにくいからウヤムヤになることが既に立証済みだからなんじゃないかと思っているのですが、38条1項前段についても立証しにくい。
けど、例えばですが、このように見通しが悪い横断歩道について
「手前20mで時速50キロ以上」という基準はバカげている。
なので現在は違う基準を設けているとは思うけど、「立証容易な後段」と書くように前段の違反は立証しにくい。
違反になるかのギリギリではなく、明らかに安全と言える速度で走るべきとは考えますが、みんながそのような発想ではないわけで。
「停止できるような速度」を求めている以上、「急ブレーキだろうと止まれた速度なら違反にならない」ことになり、現実的には取締りがしにくい状況に陥っているのではないかと思われますが、あくまでも古い資料なので最近の基準はわかりません。
また、条文趣旨はあくまでもこれ。
横断歩道直前で直ちに停止できるような速度に減速する義務は、いわゆる急制動で停止できる限度までの減速でよいという趣旨ではなく、もつと安全・確実に停止できるような速度にまで減速すべき義務をいつていることは所論のとおりである。
大阪高裁 昭和56年11月24日
2011年頃からクロスバイクやロードバイクにはまった男子です。今乗っているのはLOOK765。
ひょんなことから訴訟を経験し(本人訴訟)、法律の勉強をする中で道路交通法にやたら詳しくなりました。なので自転車と関係がない道路交通法の解説もしています。なるべく判例や解説書などの見解を取り上げるようにしてます。
現在はちょっと体調不良につき、自転車はお休み中。本当は輪行が好きなのですが。ロードバイクのみならずツーリングバイクにも興味あり。
コメント
”陰部をくすぐられてのけぞつたため”
さらっと、とんでもないこと記録されてますね。
コメントありがとうございます。
しかも、それが本当なのか争ってます笑