こちらについて質問を頂きました。

標識や路面標示は店が設置したヤツですから(道交法上は)従う義務はないはずですが、道路があれば必然的に存在する直進優先、左方優先、広路優先、左側通行、ウィンカー等は従う義務があるのでしょうか?
あらためて考えてみたのですが、「優先道路」と「一時停止」については標識や標示が必要なので、駐車場内に公安委員会が標識や標示を設置するわけもない。

駐車場内の通路と通路が交差する場所を交差点と解し、左方優先や広路車優先、「左右の見通しがきかない交差点の徐行(駐車車両により左右の見通しが遮られる場合)」やウインカーが義務なのかですが、
たぶん現実的にはそれらに従って駐車場内でプレイしていると思われるし、義務としてはあるが取り締まりする対象ではないだけなのではないでしょうか?(私有地で取り締まりすることは非現実的)
もしくは道路交通法上の義務とまでは解せなくても、皆さんが従うべき注意義務の範疇なのかも。
駐車場内で広い通路と狭い通路が交差する場所では、なんとなくの雰囲気で広路車優先が期待されるし、右左折するならウインカーを出すことが期待される。
暗黙の了解として成り立っているので、その注意義務に従うべきなのは言うまでもない。
ところで、道路交通法上の道路について詳しく解説しているのは執務資料(野下)、詳解道路交通法(木宮、岩井)、最新道路交通法事典(東京地検交通部)、判例タイムズ284号(「道路」東京地裁判事補 藤井)などがありますが、
これらに宮崎注解、法曹会、註釈道路交通法(横井、木宮)や判例を踏まえて見ていくとなかなか興味深い。
まず、宮崎注解がいう「それを道路という以上は、ある程度客観的にみて、いわゆる「道」の形態をそなえていることが必要であろう」については、運転レベル向上委員会のような捉え方をした解説書は皆無なのでして、
東京高裁 昭和45年6月3日判決も「一般交通の用に供するその他の場所とは、現に公衆、すなわち不特定多数の人、車両等の交通の用に供されている場所を指し、必ずしもいわゆる道路の形態を備えることまで必要とするものではない」としている。
「広場だから」「グラウンドだから」という理由のみでは道路性を否定することにはならない。
運転レベル向上委員会は以下述べてますが、
これがですね、宮崎注解というのがあります。宮崎さんという、かなり昔に道路交通法の解説本を出しているものがあって、いまは絶版になっていて、ちょっと私も持ってるんですけれども、これねかなり重要なことが書かれているものなんですが、
”
「それを道路という以上は、ある程度客観的にみて、いわゆる「道」の形態をそなえていることが必要であろう」としているのは、前述の法務改訂のいう「何らかの形跡」のことをいっているものと解すべきであろう。”というふうに書いてあります。ちょっとね分かりにくく書かれてるんですが、道路という以上はある程度客観的に見て「道」という感じになっている必要性があるよね、というようなことをここでは言っている、ということなんですよね。
だからグラウンドというもの自体が道というふうに思う人がどんだけの人がいるかということになってくるんですが、まあ通常これを道路と思う人はいないですよね。 埼玉栄高校 グラウンドで軽自動車横転事故死の加害少年が『過失運転致死傷』で送検された!#埼玉栄高校 #交通事故解説 #現場助勢埼玉栄高校の校庭で起きた軽自動車横転死亡事故。過失運転致死傷で送検、後席2名は現場助勢方針──誰が賠償し、どの罪に当たるのか?顧問(購入者)の運行供用者責任(自賠法3条)/学校の使用者責任(民法715条)/運転少年の責任(民法709条)を実...
運転レベル向上委員会は宮崎注解の記述を理由に「グラウンドだから(道路の形状とは見えない)」道路ではないと主張してますが、宮崎注解はそもそも、同記述の直後に「空地、広場」を挙げているし、
ただし、「道路」という以上、それはある程度客観的にみていわゆる「道」の形態をそなえていることが必要であろう。一般交通の用に供する場所の例としては、不特定人の自由な通行が認められている私道、空地、広場、公開時間中の公園内の道路および学校の構内の通路、神社、仏閣の境内等が挙げられよう。もっとも、私道、私有地等にあっては、その管理者の意思に基づいて閉鎖されたときは、この法律でいう道路ではなくなる。
宮崎清文、注解道路交通法、立花書房、1966(昭和41年)、27頁
法務改訂については、「道路の体裁を有することを必要としない」という立場なのよ(なお、横井・木宮「註釈道路交通法」、法総研「改訂道路交通法」、法曹会「例題解説」はいずれも「道路の体裁を有することを必要としない」という見解で、宮崎注解のみが異なる解釈をしている)。
法務改訂は、広場等の全部が「その他の場所」として道路になるのではなく、現に一般交通の用に供していることが客観的に識別できる部分が「その他の場所」として道路となるというのである。すなわち一般交通の用に供しているという何らかの形跡を必要とするというのである。宮崎注解が「それを道路という以上は、ある程度客観的にみて、いわゆる「道」の形態をそなえていることが必要であろう」としているのは、前述の法務改訂のいう「何らかの形跡」のことをいっているものと解すべきであろう。
執務資料道路交通法解説、東京法令出版
もっとも、海辺、川原、空地等でその範囲が広大な場所については、通常その全部が交通の用に供されているとみることは困難な場合が多いであろうから、現実にどの部分が交通路として利用されているかを特定することが必要となり、そのような場合には右形態面が重視されるであろう(法総研・道交法40頁)。
「道路」(判例タイムズ284号)、東京地検判事補 藤井一夫
※法務改訂=法総研・道交法(正確には法務総合研究所「改訂道路交通法」)
要は広場だからすなわち広場全体が道路になるとは限らず、広場の一部の「現に一般交通の用に供していることが客観的に識別できる部分」を道路と解する。
しかし広場全体が道路と解されることもありうるのでして。
運転レベル向上委員会の人は本当に宮崎注解を持っているのか疑問もありますが、少なくとも執務資料をみれば「運転レベル向上委員会の解釈のような話ではない」ことがわかるのでして。
なぜ都合よく切り抜きしたのかはわからない。
道路については執務資料(野下)、詳解道路交通法(木宮、岩井)、最新道路交通法事典(東京地検交通部)、判例タイムズ284号(東京地裁判事補 藤井)、宮崎注解、法曹会、註釈道路交通法(横井、木宮)や判例があるので、ワケわからん切り抜きをするのではなく、これらを読んで見解の対立と矛盾がどこにあるか見極めたほうがよい。
運転レベル向上委員会のように結論先行型論法をすると、既に決まっている結論に向けて都合よく解説書から切り抜きしちゃうんだけど、
それは法を理解しようとする態度とは言えず、自己満足ですから。
ところで下記判例がありますが、
道路交通法2条1号にいわゆる「一般交通の用に供する場所」とは、それが一般公衆に対し無条件で開放されていることは必ずしもこれを要しないとしても、道路交通法1条の道路における危険を防止し、交通の安全と円滑を図るという目的に照らし、現に一般公衆および車両等の交通の用に供されているとみられる客観的状況のある場所であつて、しかもその通行することについて、通行者がいちいちその都度管理者の許可などを受ける必要のない場所をいうものと解するのが相当である。
仙台高裁 昭和38年12月23日
東京地検交通部と法務総合研究所はこの見解に異を唱える。
通行に際し管理者の許可を要する場所であっても、現に一般交通に供されている実態がある場所については、道路と認めるべきではないかと(つまり管理者の許可を要する場所だからという理由で一律に道路性を否定するのは違うという見解)。
さてこの主張の根底にあるのは、道路交通法上の道路に「一般交通の用に供するその他の場所」を含める「理由」にある。
なぜ道路交通法は「一般交通の用に供するその他の場所」を道路と定義するのでしょうか?
道路と定義することは道路交通法の適用があることを意味しますが、一方で道路交通法の全てを適用する必要はない。
横井・木宮氏や法総研は、学校の校庭などを道路と認めると、77条(道路使用許可)なども適用しなければならなくなり不合理であるということなどを根拠に道路性を否定しているが、もともと、学校の校庭や工場の敷地などは一般交通の用に供する場所として設けられたものではなく、道路としての形態も備えていない。したがって、そのような場所で運動会を行ったり、工事をしたり、工作物を設ける場合に使用の方法や形態などについて警察署長の許可を得なくても道路交通の安全や円滑を損なうおそれはなく、77条の適用などはその必要がない。
これに反し、64条(無免許運転の禁止)や65条(酒気帯び運転などの禁止)の規定などは、当該場所が現に公衆の通行の用に供されている以上その交通の安全を図るためにその適用が必要とされるのである。
かように、道路交通法の目的・諸規定の立法趣旨にたちかえって考えれば、道路交通法の道路と認定された場所について、ある規定が適用され、ある規定が適用されないという結果が生じても不都合ではない。東京地方検察庁交通部研究会、最新道路交通法事典、東京法令出版、1974
次に法曹会の見解。
ところが、この判例については、前記第四の観点からする有力な学説の反対がある。すなわち、その趣旨は、この解釈を前提にすると、学校が校庭を使用する場合にも、必ず警察署長の許可を要し(法77条)、あるいは校庭で遊戯・体操等をする学童が、法76条4項3号違反に問われるおそれも生じ、不合理である。このような不合理を避けるためには、右の罰条との関係では道路ではないと解することになるが、このように、同一の法律の中で同一の用語が区々に解釈されるというようなことは、法の正しい解釈態度ではない、というのである(横井・木宮・前掲書41頁。なお、法総研前掲書45頁も、校庭を道路と解するのはこの点から疑義があるとする)。たしかに傾聴すべき批判ではあるが、法76条、法77条をいますこし合目的的に弾力的に解釈することもあながち不当ではないのではなかろうか(同旨、藤井一夫、判タ284・133)。
法曹会、道路交通法 : 例題解説 改訂版 (法曹新書)、1976
判例タイムズ284号「道路(東京地裁判事補 藤井一夫)」でも「道路使用許可に関してはある程度合目的的、弾力的に解釈可能」として東京地検交通部と同じ見解に立っている。
道路交通法上の道路に「一般交通の用に供するその他の場所」を含める「理由」を考えないまま条文解釈をし出すからワケわからんことに陥るのだと思う。
この理由を考えることは、冒頭の質問に対する答えにもなるのですが、
各自理由を考えてみましょうね。
ちなみに「最新道路交通法事典(東京地検交通部)」と「判例タイムズ284号」、「執務資料道路交通法解説」はこの解説が充実している。
判例タイムズ284号は実際の判例を16も紹介しており参考になる。
しかも反対意見をきちんと押さえた解説をしているから分かりやすいし、何が主流論なのかは複数の資料を見ないと間違える。
2011年頃からクロスバイクやロードバイクにはまった男子です。今乗っているのはLOOK765。
ひょんなことから訴訟を経験し(本人訴訟)、法律の勉強をする中で道路交通法にやたら詳しくなりました。なので自転車と関係がない道路交通法の解説もしています。なるべく判例や解説書などの見解を取り上げるようにしてます。
現在はちょっと体調不良につき、自転車はお休み中。本当は輪行が好きなのですが。ロードバイクのみならずツーリングバイクにも興味あり。




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