ロードバイクに乗っているときに、後続車からクラクションを鳴らされることってありますよね。
クラクションの使用については、道路交通法では道路標識により「鳴らせ」となっている場合を除けば、「危険回避のためやむを得ない場合」に限定されます。
第五十四条
2 車両等の運転者は、法令の規定により警音器を鳴らさなければならないこととされている場合を除き、警音器を鳴らしてはならない。ただし、危険を防止するためやむを得ないときは、この限りでない。
やむを得ないという日本語を考えると、「他に手段がない場合」となります。
しかしながら、実態としても判例としても、もう少し緩く解釈されているような印象がある。
3つの意味合い
自転車を追い越す際にクラクションを使ったことに関する判例は過去にもいくつか挙げてます。

最近他にも判例をいくつか見ていて思ったのですが、たぶん、クラクションの使用については3つの意味合いがあるのかと。
法令 | 意味 |
道路交通法違反 | 54条に定める内容 |
業務上過失致死 | 注意義務違反 |
民事 | 注意義務違反 |
例えばこのような判例があります。
自動車運転者が自転車を追い越す場合には、自動車運転者は、まず、先行する自転車の右側を通過しうる十分の余裕があるかどうかを確かめるとともに、あらかじめ警笛を吹鳴するなどして、その自転車乗りに警告を与え、道路の左側に退避させ、十分な間隔を保った上、追い越すべき注意義務がある。
昭和40年3月26日 福岡地裁飯塚支部
この判例は民事、つまりは事故が起きて死亡や怪我が発生している。
追い越す時にクラクション鳴らして警告していれば事故は起きてない可能性大→注意義務違反ということで、ドライバーの過失と認定されているわけです。
ただしこれ、以前も書いたように、

事故発生は昭和36年。
昭和36年当時の道路交通法では、自転車は車両優先順位が最下位で(旧法18条)、他の車両に追い付かれた場合にはできるだけ左端に寄せて譲る義務がありました。
だからこういった判示なのかと思っていました。
昭和35年の刑事事件の判例です。
原判決書によれば、原判決がその理由中罪となるべき事実として業務上過失致死罪の有罪事実を認定判示していることが認められる。
これに対し所論は、要するに、(一)原判決は、同一方向に向う自転車を追い越す場合被告人は警音器の吹鳴義務、自転車を進路から更に左側に避譲せしめる義務、その他交通の安全を確認する義務をすべて怠つたように認定しているが、
東京高裁 昭和35年(う)第1663号
この時代は、自転車にも道路交通法27条の避譲義務があったとはいえ「クラクション鳴らして避譲せしめる義務」って酷くないですかね?笑
邪魔だからドケ、ドクのは義務だし、追い越すときはどかせてから追い越す義務があると言ってるのと同じ。
クラクション鳴らしてドカせる業務上の注意義務を怠ったから有罪だそうですよ笑。
それもあって、昭和39年以前に起こった事故の判例は全く参考にならないと思う。
注:現行の道路交通法では、自転車には追い付かれた車両の義務はありません。
その代わり、左側端通行義務があります(18条1項)。

ただしこれ、平成になってからの判例(民事)でも、ほぼ同様の判示があります。
車道の左側端を走行する自転車を追い越そうとする車両の運転手は、危険を防止するため、警音器等を利用して自車が当該自転車を追い越そうとしていることを当該自転車の運転者に知らしめるとともに、絶えず当該自転車の動向を注意して徐行し(ここで、「徐行」とは、道路交通法二条一項二〇号により、「車両等が直ちに停止することができるような速度で進行すること」をいう。)、当該自転車との側方の車間距離を十分に保持した上で、当該自転車を追い越すべき注意義務があることは明らかである。
神戸地裁 平成8年(ワ)第2010号
神戸地裁の判例については、先行する自転車が不審な動きをしていた証拠はないようで、自転車が突如右に来たことによる事故。
民事の裁判は、道路交通法違反を争っているとも限らず、予見義務と回避義務に違反したかどうかを争ってます。
民事訴訟になる=事故が起きてしまったわけですが、確かに事故が起きた後なら

後からなら誰でも言える。
判例を見ている限りですが、「クラクションを鳴らすべき注意義務を怠った」と主張しているのは、当然ですが被害者側、つまりは原告です。
民事の裁判は、言い方は悪いけど相手のミスをたくさん指摘して自分に有利な損害賠償を導く作業。
クラクション鳴らしてれば事故を回避出来ただろ!と遺族側が主張するのは当然とも言える。
けど仮にですが、自転車を追い越す際にクラクションを鳴らし、結果として事故は起きずに追い越しが成功したとするじゃないですか。
それが道路交通法54条2項でいうところの、「危険回避のためやむを得ない場合」に該当するのか?と聞かれると、ケースバイケースとしか言えなくなる。
むやみやたらに鳴らすのは違反だし。
次に目先を変えて民事ではなく、刑事事件の判例を見ていきます。
道路交通法違反容疑ではなく、業務上過失致死の判例です。
まずは事実認定から。
(1) 本件事故現場は、別紙図面記載のとおり直線且つ平坦な見通しの良いアスフアルト舗装の国道25号線上で、国道両側には人家はない。本件事故当時の自動車の交通量は比較的少なかつたが、通常時には多い個所である。なお本件事故当時は晴天であつた。
(2) 被告人は、本件公訴事実記載の日時、普通貨物自動車を運転して前記国道(最高制限速度50キロ)を約50キロで西進し、奈良県北葛城郡王寺町藤井一丁目八一番地附近にさしかかつた際、前方約43mの国道左側端(歩道南端から約五〇糎)を前記被害者が足踏式自転車に乗り自車と同一方向に進行しているのを認めた。
(3) 被告人が同人を認めた地点から西方約70m余のところに、別紙図面記載のとおり国道から三郷町に通じる幅員3mの道路があつたが、右道路に通じる入口附近は草に覆われており、右地点から右道路の存在を認めることは困難であつた。
(4) 被告人は、同人が一見して年寄であると認めたが、ふらつくことなく安定した歩行状態で直進しており、同人の進路前方に進行を妨げる障害物もなく、同人が進路を変更して右折するなどの気配は全く認められなかつた被告人は、同人がこのまま直進するものと信じ、同人と接触および風圧による危険を与えることのないよう安全な間隔を保つて追抜くべく、自車を中央線寄りに寄せ、警音器を吹鳴することなく前記速度で進行した。しかるに前方約20mに迫つた地点において、予想に反して同人が何らの合図もなく後方の安全を確認することなく(前記三郷町に至る道路に進入すべく、但しこの点については被告人にわからなかった)突然右折を開始し、右斜めに国道を横断しはじめたのを認めた。そこで同人との衝突を避けるため急制動の措置を講じると共に、対向車もないことから突嗟に同人がそのまま横断を継続するものと判断し、同人の横断した後方を通過すべく急拠ハンドルを左に採つたが、至近距離に迫つて同人がハンドルを回転させ引き返したため、自車右前部を前記自転車後部左側に接触させ、同人を路上に転倒させた。
奈良地裁葛城支部 昭和46年8月10日
これに対し、警音器を鳴らすべき業務上の過失はなかったとして無罪にしてます。
自動車運転者が、警音器の吹鳴義務を負う場合は、法54条1項及び2項但書の場合に限られ、右各場合以外に警音器を吹鳴することは禁止されているところ、本件事故現場付近は、同法54条1項によって警音器を吹鳴すべき場所でないことは明らかである。また同2項但書によって警音器を吹鳴すべき義務を負担する場合は、危険が現実具体的に認められる状況下で、その危険を防止するため、やむを得ないときに限られ、本件におけるように先行自転車を追い抜くにあたって、常に警音器を吹鳴すべきであるとは解されず、追い抜きにあたって具体的な危険が認められる場合にのみ警音器を吹鳴すべき義務があるものと解される。
ところで、被告人は、司法警察員に対する供述調書第一一項において、「あの様な場合警音器を有効に使用して相手に事前に警告を与えておけばよかつたのですがこれを怠り」と述べ、更に検察官に対する供述調書第三項において、「私もこの自転車を追抜く際、警音器を鳴して相手に私の車の近づくのを知らせる可きでした。そうしてそれからスピードを落して相手の様子を良くたしかめ大丈夫であると見極めてから追抜きをする可きでした。それを相手が真直ぐ進むものと考え相手の動きに余り注意しないでそのままの速度で進んだのがいけなかつたのです。」と述べ、自ら自己の注意義務懈怠を認めている如くであるが、被告人に過失があつたか否かの認定は、事故当時の道路、交通状態、事故当事者双方の運転状況等により客観的に判断すべきものであるから、これらの被告人の単なる主観的意見によつて、直ちに被告人に過失ありと認定できないこと論を俟たない。
もちろん被告人が危険を感じなくとも被告人が右に供述している如く警音器を吹鳴していれば、同人も被告人の接近に気付き事故を防止することができたかもしれない。しかし、前記認定のとおり警音器吹鳴の義務が客観的に認められないから、同人の死亡の結果を被告人に帰せしめることはできない。
奈良地裁葛城支部 昭和46年8月10日
自転車を追い抜く際に、クラクションを鳴らすべき注意義務があったかどうかが争点。
業務上過失致死なので、鳴らすべき業務上の注意義務があったにも関わらず鳴らさなかった場合には、過失となり有罪になる。
しかし、具体的な危険もない中ではクラクションを鳴らすべき注意義務はなかったとして、無罪にしてます。
続いての判例。
こちらも業務上過失致死の刑事事件です。
被告人は、所論のいう被害者の自転車が急に右方に曲つた地点までこれに近接するより以前に、これと約62メートルの距離をおいた時点において、すでに自転車に乗つた被害者を発見し、しかもその自転車が約50センチメートル幅で左右に動揺しながら走行する自転車を追尾する自動車運転者として、減速その他何らかの措置もとることなく進行を続けるときは、やがて同自転車に近接し、これを追い抜くまでの間に相手方がどのような不測の操作をとるかも知れず、そのために自車との衝突事故を招く結果も起こりうることは当然予見されるところであるから、予見可能性の存在は疑うべくもなく、また、右のような相手方における自転車の操法が不相当なものであり、時に交通法規に違反する場面を現出したとしても、すでに外形にあらわれているその現象を被告人において確認した以上は、その確認した現象を前提として、その後に発生すべき事態としての事故の結果を予見すべき義務ももとより存在したものといわなければならない。所論信頼の原則なるものは、相手方の法規違反の状態が発現するより以前の段階において、その違法状態の発現まで事前に予見すべき義務があるかどうかにかかわる問題であつて、本件のごとく、被害者の自転車による走行状態が違法なものであつたかどうかは暫くおくとして、その不安定で道路の交通に危険を生じ易い状態は、所論のいう地点まで近接するより前にすでに実現していて、しかもこれが被告人の認識するところとなつていたのであるから、それ以後の段階においては、もはや信頼の原則を論ずることによつて被告人の責任を否定する余地は全く存しないものというほかない。そして、被告人は、右のように、被害者の自転車を最初に発見し、その不安定な走行の状態を認識したさいには、これとの間に十分事故を回避するための措置をとりうるだけの距離的余裕を残していたのであるから、原判決判示にかかる減速、相手方の動静注視、警音器吹鳴等の措置をとることにより結果の回避が可能であつたことも明白であり、所論警音器吹鳴の点も、法規はむしろ本件のような場合にこそその効用を認めて許容している趣旨と解される。
東京高裁 昭和55年6月12日
この判例では、後続車が自転車を追い抜く際に、自転車が突如右に1.5m進路変更したことで起きた事故です。
業務上過失致死で有罪(控訴棄却)ですが、50センチ幅でフラフラしている自転車が目の前にいるのだから、どんな不測な動きをするかわからないし、事故発生は予見できるでしょ?という判例です。
上の奈良地裁葛城支部の判例との違いを挙げてみます。
先行する自転車の様子 | クラクションを鳴らすべき業務上の注意義務 | |
東京高裁(有罪) | 50センチ幅でフラフラ | フラフラして不測な動きを予見出来たのだから、クラクションを鳴らすべき注意義務があった |
奈良地裁葛城支部(無罪) | ふらつき無し | 何ら具体的な危険を認めない状況なので、クラクションを鳴らすべき注意義務はなかった |
この2つの判例は、道路交通法54条違反を争っているわけではなくて、業務上過失致死罪における吹鳴義務(業務上の注意義務違反)を争っている。
どちらのケースも、クラクションを鳴らす行為自体の道路交通法違反は成立しない。
奈良地裁葛城支部の判例では、死亡事故が起きたから
もちろん被告人が危険を感じなくとも被告人が右に供述している如く警音器を吹鳴していれば、同人も被告人の接近に気付き事故を防止することができたかもしれない。しかし、前記認定のとおり警音器吹鳴の義務が客観的に認められないから、同人の死亡の結果を被告人に帰せしめることはできない。
としてますが、仮にクラクション鳴らした&事故が起きなかったという場合、結果論で道路交通法54条違反が成立しないとみるのか、具体的危険がないのに鳴らした=道路交通法違反とみるのか、どうなるのやら。
実際のところ、単発でクラクションを鳴らした程度で道路交通法違反になるとは思いませんが、「危険回避のためやむを得ない場合」という道路交通法の規定はかなり曖昧な気がします。
曖昧だから、気軽に、ナチュラルに、ファッション感覚でロードバイクにクラクションを鳴らすドライバーがいるのかもしれません。
ドライバーの言い分は、「危険回避のためやむを得ないから」なのかもしれないけど、危険というのは「具体的客観的危険」がないとダメなことは言うまでもなく。
ドライバーの主観による「危険」だと、気軽に鳴らすバカが増えるだけ。
先行する自転車がフラフラしているとか、道路交通法に反する走行方法(逆走や左端通行義務違反)があれば、鳴らしたとしても違反が成立しない可能性が高い。
もちろん、無理に追い抜かず、クラクションを鳴らさずに後方待機する方法もあります。
判例を検討すると、刑事事件の判例では、先行する自転車に「具体的客観的危険」からくる「予見可能性」を元に、クラクションを鳴らすべき注意義務があったかどうかを判定している。
民事の判例だと、事故が起きたという「結果論」からクラクションを鳴らすべき注意義務があったかどうかを判定しているように見えてしまい、ちょっと気持ち悪い。
冒頭で挙げた福岡地裁飯塚支部の判例にしても、無免許で乗り回して自転車を追い越そうとして接触したという、なかなかの事件です。
先行する自転車に不審な動きがあったようには見えませんが、単に距離感を誤って追い越そうとして失敗した事故ですし。
民事の場合、刑罰でないから注意義務は広くなりがちとはいえ、クラクションの使用についての判例は、民事の判例をあてにすると間違うように思う。
判例の持つ意味
道路交通法解説書というと、執務資料道路交通法解説が判例も豊富で最も著名なわけですが、あれの難点を強いて挙げるとすると、
1、道路交通法違反としての成立
2、業務上過失致死や過失運転致死における注意義務違反
3、民事での過失(注意義務違反)
これらを分けずに判例を挙げている点と、判示に至った過程が不明なこと。
例えばこれ。
自動車運転者が自転車を追い越す場合には、自動車運転者は、まず、先行する自転車の右側を通過しうる十分の余裕があるかどうかを確かめるとともに、あらかじめ警笛を吹鳴するなどして、その自転車乗りに警告を与え、道路の左側に退避させ、十分な間隔を保った上、追い越すべき注意義務がある。
昭和40年3月26日 福岡地裁飯塚支部
この判例を忠実に、カジュアルに敢行すると、基本的には道路交通法54条2項の違反です笑。
民事の判例なことや、事故当時の道路交通法では自転車にも「追い付かれた車両の義務」があったことが大前提なわけで、全くに近いレベルで無意味な判例。
警音器と自転車に関わる判例って、なぜか昭和30年代とか40年代初頭のものが多い。
けど、この時代は今とは道路交通法自体が違いますし、さほどあてにしないほうがいい。
まあ、左側端通行義務に違反していることが明らかな自転車に対してクラクションを鳴らすことについては、ある程度許容されていると考えても問題ないので、そういう意味では古い判例も多少役に立つ余地はありますが、明らかにおかしいレベルの位置を通行する自転車の場合以外はやめておいたほうが正解かと。
あと、クラクションが誘引になり、驚愕事故で自転車が転倒する可能性もある。
本来は滅多に使うべきものではないクラクションですが、少なくとも左側端通行しているロードバイクに鳴らす行為は違反なので、やめて頂けると。
福岡地裁飯塚支部の判例、勘違いして鳴らすとナチュラルに違反ですから。

2011年頃からクロスバイクやロードバイクにはまった男子です。今乗っているのはLOOK765。
ひょんなことから訴訟を経験し(本人訴訟)、法律の勉強をする中で道路交通法にやたら詳しくなりました。なので自転車と関係がない道路交通法の解説もしています。なるべく判例や解説書などの見解を取り上げるようにしてます。
現在はちょっと体調不良につき、自転車はお休み中。本当は輪行が好きなのですが。ロードバイクのみならずツーリングバイクにも興味あり。
コメント
いつも楽しく拝読させていただいてます。
確かにクラクションならして注意をひいていれば、事故にはならなっかったかとも。
でもやたらにクラクションを鳴らすのは。???
普段車運転してますが、クラクション、鳴らし方でも感じが違い、鳴らされて
”おっとっと、失礼、ゴメンね、気をつけます!。”になるか
”うっせいわ、わかってるよ!このケチ野郎!”どちらにもなります。
相手を不快にさせない使い方、心がけたいと思います。
全く筋違いな話ですが、クラクションはフランスのメーカーの名前です。
車のクラクション作をってます。
世界で最初に電気で鳴る自動車用音響器を作ったそうで、自動車の警告用音響器の
代名詞になったそうです。
一般名称は、ホーン 警音器のようです。
下らないこと失礼いたしました。
コメントありがとうございます。
民事の判例は、死亡事故という「結果」に対して、クラクション鳴らしておけば死んでなかっただろ!と遺族が追及しています。
かといってクラクション鳴らして事故が起きなかった場合、自転車乗りとしては「クラクション鳴らして威嚇しやがって!」なんですよね。笑。
民事の判例はあまり参考にならないです。
けど、クラクション鳴らされていたら自分は死んでいなかったという事例が起きたなら、ビミョーです。
道路交通法は何のためにあるのか、イマイチわからなくなりそうな。
クラクションとホーンの件、教えて頂きありがとうございます。
知りませんでした。