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標識が無効になるケース。

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ちょっと前に何かの記事で、最高裁判所第三小法廷  昭和43年12月17日判決についてチラっと触れましたが、

読者様
読者様
裁判所HPにあるのを読んでみました。標識と補助標識が矛盾しているから標識が無効?って意味であってますか?

だいたいそんな感じです。
例の人が意味を取り違えていた判例ですね。

 

真逆の主張。
車両通行帯は交通規制(法4条、令1条の2第4項、標識令等)になりますが 凄い理論だな。 真逆の主張 見えにくい道路標識や道路標示は無効という最高裁判決はいくつかありますが、  ところで、道路交通法施行令7条3項には、公安委員会が道路標識を設...

 

なので、ちょっと解説を。

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最高裁判所第三小法廷  昭和43年12月17日判決

この判例は「右折進行禁止」の標識についている補助標識の意味を誤解して右折したことについて起訴された被告人が、一審、二審ともに有罪判決を受けて最高裁に上告した事件です。
何が問題になっているかというと、当時の施行令7条3項(現在の1条の2第1項)ではこのような規定があり、

 

※内容は同じなので現在の条文から引用します。

(公安委員会の交通規制)
第一条の二 法第四条第一項の規定により都道府県公安委員会(以下「公安委員会」という。)が信号機又は道路標識若しくは道路標示を設置し、及び管理して交通の規制をするときは、歩行者、車両又は路面電車がその前方から見やすいように、かつ、道路又は交通の状況に応じ必要と認める数のものを設置し、及び管理してしなければならない。

公安委員会が行う交通規制は、当然ですが道路交通法、施行令、施行規則に基づいて適法に標識や標示を設置しなければならない。
例えば信号のない横断歩道であれば、標識と標示をセットにしなければ法定要件を満たさないけど、セットであるにしてもその標識等は「前方から見やすいように」(旧7条)と定めていたわけです。

 

この場合「右折禁止」の標識に、それとは無関係な「左折に関する補助標識」がついていたことから紛らわしいものになっていた。

木宮高彦, 岩井重一、詳解道路交通法、有斐閣、1977、p25

本標識とは無関係な補助標識がついていた場合に、本標識の効力に影響を及ぼすのか?が争点です。

 

 原判決および同判決の維持した第一審判決の確定した事実によると、本件右折進行禁止の道路標識は、京都府公安委員会告示第51号によつて全方向からの右折を禁止された京都市a区b通りc交差点の北側、すなわち東西に通ずるc通りと直角に交差するb通りの同交差点に入る手前右側路端に設置されたものであつて、その支柱に「貨物(貨客兼用を除く)14―22 2輪(125CC.以下)9―22の左折を除くと記載された方形の標示板が取り付けられていたもの(別紙図面参照)であるところ、被告人は、第一審判決判示の日時に、貨客兼用車を運転してb通りを南進し、同交差点において右折通行したというのである。そして、第一審判決および原判決は、以上の事実関係を前提として、被告人の所為が、道路交通法7条1項の規定に基づく京都府公安委員会の定めた車両等の通行禁止、制限に違反するものとして、同法119条1項1号の罪が成立することを肯定しているのである。

 

ところで、道路交通法施行令7条3項は、公安委員会が道路標識を設置するときは、歩行者、車両または路面電車がその前方から見やすいように設置しなければならない旨を規定しておりこのことにかんがみても、道路標識は、ただ見えさえすればよいというものではなく、歩行者、車両等の運転者が、いかなる車両のいかなる通行を規制するのかが容易に判別できる方法で設置すべきものであることはいうまでもない。しかるに、本件道路標識は、全車両に対し終日右折進行を禁止するものであるところ、その支柱に取り付けられた前記方形の標示板は、本件道路標識の禁止していない左折進行に関する注意事項を掲げたにすぎないものであるから、道路標識、区画線及び道路標示に関する命令(昭和35年12月17日総理府、建設省令第3号)の規定する本標識に附置される補助標識のうち、本標識が表示する禁止、制限または指定の日または時間を示すもの(同命令別表第一番号(502)には該当せず、また、本標識が表示する禁止または制限の対象となる車両を特定するために必要な事項を示すもの(同番号(503))にも該当しないものであるにもかかわらず、本件記録によれば、その形式外観において補助標識と同様であり、その記載方法もまた、右各補助標識のそれとまぎらわしいものであることが認められる。しかも、同命令によれば、本標識が表示する意味を補足するため必要な事項を示す補助標識(同命令別表第一番号(510))が附置されるのは、本標識のうち警戒標識のみであることをも合わせ考えると本件標識により、車両等の運転者が、いかなる車両のいかなる方向への進行を禁止、制限されているのかを一見して容易に判別できるものとは認められず、したがつて、このような標識の設置方法は、道路交通法施行令の前記法条に違反するものであり、これによつては、b通りを南進して本件交差点を右折進行しようとする車両等の運転者に対し、右折進行を禁止、制限する旨の通行規制が、適法かつ有効になされているものということはできないといわなければならない。

 

最高裁判所第三小法廷  昭和43年12月17日

結局のところ、これ。

木宮高彦, 岩井重一、詳解道路交通法、有斐閣、1977、p25

指定方向外進行禁止(この場合は右折禁止)ですが、内容はこれ。

交通法第八条第一項の道路標識により、標示板の矢印の示す方向以外の方向への車両の進行を禁止すること

右折禁止の標識なのに、それとは無関係な左折に関する注意事項を書いた補助標識を付けていた。

 

破棄自判した理由としては、以下3点を総合的にみて標識自体が無効としています。

①道路交通法施行令7条3項(現1条の2第1項)の趣旨(誰にでも分かりやすく)
②右折禁止の本標識とは無関係な左折に関する補助標識であること
③補助標識(510)が設置されるのは本標識のうち警戒標識のみであること

右折禁止の標識についている「左折に関する」補助標識が右折に関するものだと勘違いしてしまうわけで、無効です。
本標識の内容に対して制限するための補助標識なのに、本標識の内容とは全く関係ない補助標識をつけて誤認させたという話です。

 

若干似たような判例に玉名簡裁 昭和45年6月6日判決がありますが、通行禁止標識の下に「通り抜けできない」と補助標識がついていた事例について、以下の理由から標識が無効だとしています。

ところで、「通り抜け」とは、当該区域の全部を通過し終る趣旨であり、同区域の一部の通過でもこれに該当する「通行」とはその意義を異にするものと解され(横井・木宮註釈道路交通法93頁参照)、また警察庁保安局交通課長も昭和35年3月22日神奈川県警察本部長の質疑に対し、「用語上の使い分けおよび慨例的意味から、通り抜けるとは、その区域の全部を通過するものと解され、その区域の一部を通行することは通り抜けには当らないと考える。」旨回答し、交通警察行政当局の公権的解釈も夙に確定していた(警察庁交通企画課編「道路交通関係実例判例集」153頁参照)とみられること等に徴すると、本件当時該北端本標識脇の路上に設置されていた前記標示板記載文言の通り抜けも、特段の事情がない限り右と同趣旨に解すべきものであるといわなければならない。
然りとすれば、本件当時同一通行規制区間の同一地点に、1mといえども通つてはならない趣旨である「通行禁止」の道路標識と並んで、通つてもよいが通り抜けることは許されない旨の表示である熊本県公安委員会・熊本市連名による「通り抜けは出来ません」との標示板が置かれておつた(なおこの通り抜けてはならない地点が明止されておらず、かつ熊本城内には前記のごとく諸車の駐車等に使用されている広場が存したので、右標示板の文言は車両が同城内広場まで入ることは許されるが、その南端の行幸坂から向うへ通り抜けることはできず、返路は往路を逆行しなければならない趣旨の標示であるとの誤解を招く余地なしとしない。)わけであるから、同所の通行規制はその表示自体に、明らかに二律背反的な自己矛盾を蔵しておつたものであり、かつ右標示板は道路標識令所定の正規のものではないにしても車両等の進路上に置かれてあつたので、右通行禁止の本標識よりもさきに自動車運転者の眼に入り、かつ従前熊本城周縁の前記行幸坂ほか二カ所に設けられていた同型同文言記載の標示板は、当該箇所で車両の通行を止めるものではなく、運転者は該標示板設置箇所からなお相当距離(行幸坂地点においては同所から約200m、家裁前においては同約100m、棒安坂上り口においては同約50m)を引続き進行することができたのであるから、これと全く同型同内容の標示板が置かれている以上、運転者としては従前の場合から早のみ込みして、同所よりなお引続き進行することができるものとの錯覚に陥り易いことは自然の勢いであり、然らずとするも該通行禁止区間の規制趣旨につき戸惑い、その挙措に迷うおそれのあつたことは十分に推認し得られるところである。

 

前記証人(いずれも本件当時もしくはその前後に熊本北警察署交通課指導係長の職に在つた者)ならびに証人(本件当時熊本警察本部交通第一課企画係長の職に在つた者)は、いずれも「通り抜けは出来ません」との文言は、「通行はできません」との文言と意味は同じであつて、通行禁止の趣旨を表わすものであり、何らこれと矛盾するものではなく、同所における自動車通行禁止の規制を実効的ならしめるため本来の通行禁止の道路標識の補助的手段として設けたものである旨供述するが、両者の文言は前記のごとく明らかに文理的にもまた解釈上も異なつた意味をもつておるのみならず、右標示板が本標識の表示する規制趣旨を補足するため必要な事項を示す目的に出たものであれば、もともとそれは道路標識令別表第一番号510による補助標識でなければならないところ、同補助標識が附置される本標識は警戒標識に限られ、本件のごとき規制標識には附置できないものであり、なおまた曩に行幸坂、家庭裁判所前、棒安坂上り口の三カ所に設けられた標示板も本件の標示板と全く同じものであつたのであるから、もし右証人等の証言どおりであるとすれば、右行幸坂等設置の標示板はその設置によつて当時何ら公安委員会による通行禁止の処分がなされておらず車両の通行が自由であつた筈であるみぎ行幸坂から本件規制区域に至る約200mの間、同家庭裁判所前から右規制区域に至る約100mの間、同棒安坂上り口から同規制区域に至る約50mの間の各道路について全く法的根拠なく違法にその通行を禁止することになつたものといわなければならない(斯くのごときことは、前記設置者において毫もこれを意図しておつたことでなく、かつ実際にも右各区間の車両通行は何ら禁止されておらず自由であつたことは前記のとおりである)。
また同証人等は、右標示板は、道路標識令によるものでない任意のものであつて、もし正規の道路標識と矛盾する場合は自動車運転者は後者に従うべく、前者は無視してさし支えないものであるから、運転者に混乱を生ずる等の筈はない旨供述するが、右標示板には前記のごとく熊本県公安委員会・熊本市の共同名義が表示され、その記載文言と相俟つて前記指示標識(規制予告)類似の形式外観を有していたものであるから、運転者等は一応これを権威あるものとみるのが普通で、道路標識令に明記されていない標示であるからこれを無視して然るべきものだと判断するというようなことはむしろ異例のことというべきであり(またもし右標示板が全く法令上の根拠を欠く無意味なものであるとすれば、公安委員会や市といえどもこれを設置すべからざるものであることは、道路交通法第76条第1、2項の律意に徴し明らかである。)、ことに運転者は相当の速度の下に運転を続けながら走馬灯のように去来する進路前方の形象から右のような判断を迫られるものであることを考えるときはいつそう然りといわざるを得ないのである。

 

ところで、道路標識の設置は、該標識が表示する規制処分のなされている事実についての認識を運動態勢にある車両の運転者をして告示のような観念的な記憶によらしめるだけでなく、当該規制場所に設置された該標識によつて即時かつ直接にその視覚に訴えさせ形象的な認識としてその把握を容易かつ的確ならしめる趣旨のもとになされるものであるから、適法有効な標識の設置は、これより表示される道路上における当該規制の行政処分についての有効要件をなすものと解すべきであつて(昭37.4.20最高判集16巻4号427頁、昭41.7.8高知簡判・下裁刑集8巻7号1008頁等参照)、法令所定の要件を厳に具備することを要するは勿論、本標識(規制標識)自体には瑕疵がなくとも、補助標識その他の標識もしくはこれに類似する物件等によつて当該規制の趣旨が一義性を欠くものとなつたり、不明確なものとなつて、車両のいかなる進行を禁止もしくは制限しておるものであるかが一見しては容易に判別できないような状態にあるときは、到底当該交通規制が適法かつ有効になされているものということはできないものといわなければならない(昭43.12.17最高三小廷判・集22巻13号1508頁、同39.10.12鹿児島簡判・下裁刑集6巻9号1033頁等参照)。
けだし、道路交通法の所期する交通の安全と円滑を図るためには、すべての交通関与者が信号・道路標識・道路標示等の形象化されたルールを厳守しこれに随順することが絶対的に要請されると共に、反面みぎ信号・標識・標示等が簡潔・明確・定型的かつ一義的であつて、その判別に思案を要するようなことなく、その他誤解を生じさせるような些かのまぎらわしさも存しないことが必須不可欠の要事であるからである(道路交通法施行令第7条第3項には、かかる趣意も含まれておるものと解されている。前記昭43.12.17最高三小廷判参照。)
そうすると、前記通行禁止の指定区間における道路標識(本標識)二基には、本件当時二輪のほか定時路線バスも夙に規制対象から除外され(昭和41年3月2日熊本県公安委員会告示第3号・同年4月1日施行)、現に通行しておつたにもかかわらず、その旨を表示すべき補助標識等の附置を欠き(この点は当裁判所の第一回検証調書により明白である。)、したがつて告示と標識との間に明らかな矛盾が存するという瑕疵(尤もそれだけでは必らずしも右標識の規制効を左右するほどのものではないと考えられるが)が存したうえ、前記のごとく通行禁止の趣旨と矛盾する通り抜け禁止の趣旨を表示する熊本県公安委員会・熊本市共同名義の標示板が北端本標識に並置されておつたのであるから、設置者の主観的意図如何に拘らず、同所の交通規制には、運転者に対し車両の進入を禁じているのか、その通り抜けだけを禁じているのかを一義的に明らかにしていない不明確かつ曖昧なものが存し判別の容易性が確保されていないので、結局該標識の表示する該道路上における通行禁止の規制処分(行政処分)は、道路交通法施行令の前記法条に違反し本件当時適法かつ有効になされてはおらなかつたことに帰着するものといわねばならない。

 

玉名簡裁 昭和45年6月6日

「通行禁止」と「通り抜けできない」は意味が違うことや、両者の意味が違うことは確立された見解であるから矛盾が生じるところを施行令7条3項(現1条の2第1項)に反するとの判断から無罪。

 

「本番禁止」の規制標識があるのに、補助標識として「先っぽはOK」と書いてあったら矛盾が生じるのは当然でしょう。
まあ、禁止されていることを知りながらも「先っぽだけお願い」と懇願するオッサンはまあまあいるみたいな話を聞いたことがありますが…

 

ちなみに標識が見えにくいから効力を無効にした判例としては、最高裁判所第二小法廷 昭和41年4月15日判決があります。
こちらは一方通行規制を逆走したことについて、標識の設置方法がおかしいから無効としたもの。

 原判決および同判決の維持した第一審判決が確定した事実によると、本件一方通行の道路標識は、大阪府公安委員会によつて東から西への一方通行と指定された大阪市a区bc丁目d番地附近道路(通称e)と、これと直角に交わる道路(通称f)との交差点の南東角にある元A銀行建物の角から約4.7m南に入つた場所に設置せられたものであつて、その標識は、約40度西南方を指示していたものであるところ、被告人は、第一審判決判示の日時に第一種原動機付自転車を運転してeを通行するにあたり、本件道路標識の表示に注意し、eが一方通行の場所ではないことを確認して運転すべき義務を怠り、この道路が西方への一方通行となつていることに気付かないで、その出口方向から入口方向(東方)に向つて右自転車を運転通行した、というのである。そして第一審判決および原判決は、以上の事実関係を前提として、被告人の所為が、道路交通法7条1項の規定にもとづく大阪府公安委員会の定めた車両等の通行禁止、制限に違反するものとして、同法119条2項、1項1号の罪が成立することを肯定しているのである。

 

ところで、道路交通法施行令7条3項には、公安委員会が道路標識を設置するときは、歩行者、車両又は路面電車がその前方から見やすいように設置しなければならない旨を規定しており、このことに鑑みても、道路標識は、ただ見えさえすればよいというものではなく、歩行者、車両等の運転者が、いかなる通行を規制するのか容易に判別できる方法で設置すべきものであることはいうまでもないしかるに本件道路標識は、前示のように、本件交差点の南東角にある元A銀行建物の角からfを約4.7mも南に入つた場所に設置されていたばかりでなく、その標識(矢印をもつて一方通行の方向を示しているもの)は、正確に西を指示しておらず、約40度も西南方を指示していたというのである。そのうえ本件記録によれば、本件当時、fも北から南への一方通行と指定されていたこと、本件標識のすぐ前(交差点寄り)にはfの駐車禁止をも示すものと認められる道路標識があつて、本件標識はその背後に一部重なり合うようにして設置されていたことが明らかであるから、その設置場所、設置状況にてらし、本件標識か、eの東から西への一方通行を明らかに指示するものとはとうてい認められず、むしろfの北から南への一方通行を指示するもののように見られるのである。このような標識の設置方法は、道路交通法施行令の前記法条に違反するものであり、右標識によつては、fを南下して本件交差点を左折し、eを東行しょうとする車両等の運転者に対し、eの東行を禁止する旨の通行規制が、適法かつ有効になされているものということはできないといわなければならない。したがつて、被告人が、本件道路標識を見落して、eが東から西への一方通行と指定されていることに気付かず、右道路を東に向けて前記原動機付自転車を運転通行したとしても、なんら過失による車両等の通行禁止、制限違反の罪は成立しないものというべきである。

 

最高裁判所第二小法廷 昭和41年4月15日

判決理由としては、以下。

①道路交通法施行令7条3項(現1条の2第1項)の趣旨(誰にでも分かりやすく)
②交差点の角から4.7m入ったところに標識があり、西を指示するはずなのに40度も西南方を指示していた
③交差道路にも一方通行規制があったこと
④駐禁標識と一部重なっていたこと

簡単に言えばワケわからん位置に、おかしな角度を向いて、しかも一部重なって見えない標識は無効として破棄自判したものです。

 

どちらの判例にしても道路標識等が無効という判例なので、車線境界線(区間線)と車両通行帯(道路標示)の問題でこの判例を挙げたら、道路標示が無効という意味の主張にしかならないので、例の人についてはお察しですが相変わらず無意味に発狂しているようなので救えませんよね笑。

自転車横断帯を無視できる理由

よく言われる自転車横断帯問題ですが、

交差点進入前に自転車横断帯の存在にはどうやっても気がつかない自転車横断帯があるわけで、最高裁判所第二小法廷 昭和41年4月15日判決から「見えない自転車横断帯の通行義務はない」と導けます。

 

要は自転車横断帯に気がついたときには、既に交差点の途中まで進入しているのがオチなので、最初から存在を知ってない限りはムリなんですよ。

もちろん、普通に視認できる自転車横断帯の効力は消せないのですが。

一時停止の場合は?

路側帯を通行する自転車にも一時停止する義務がありますが、

路側帯には停止線がないから無効!を主張できるかというと、条文上、最初から停止線が必須要件にはなってないので、ムリ。
昭和41年4月15日判決のように標識が「見えにくい」わけでもないし、昭和43年12月17日判決のように不正な補助標識で誤認させたわけでもない。

 

なので、錯誤の問題にしかならないけど、それもムリ。

 

「ぼく、知らなかったもん!」は通用するのか?
先日のこちら。 路側帯を通行する自転車も一時停止義務がありますが、そもそも。 路側帯には停止線もないし、一般人の感覚だと歩道と路側帯の違いがわかってないなんてザラ。 43条は停止線自体は必須要件ではありませんが、一般人の感覚だと路側帯通行自...

 

そもそも、このような指摘を頂きました。

読者様
読者様
路側帯の一時停止義務の前に、車道通行する自転車も一時停止してない人が多いような。

これについてはその通りで、私なんて電動アシストのママチャリで駅に向かう途中、一時停止したら後ろの自転車にキレられたことがありますよ。

 

「なぜ止まるんだ!危ないじゃないか!」

 

と。
危ないのはオマエダとしか言いようがないけど、たぶん違う世界の生き物なんだろうなとしか思えない。

 

けど、先日も路側帯通行自転車は横断歩道で停止義務がないと語る人がいたように、自転車ルールって好き勝手に意味不明な話をしだす人が多いわけで、路側帯も含めて一時停止の対象ですよとアナウンスするしかないよね。

 

最近はこんな珍説がごく一部で提唱されているようです。

歩行者が自転車の上を跨がっているのだから、道路交通法38条1項により横断歩道を横断しようとする「自転車に跨がった歩行者」がいたら、自転車自体は保護対象ではないけど歩行者を優先しなければならない。
だから自転車に跨がった歩行者は横断歩道で優先だ。

もう、支離滅裂で何の話をしているのかすらわからないよね笑。

 

「歩行者が自転車に跨がっている」のではなくて、人間が自転車に跨がっているのですが笑。
この理屈だと、「歩行者がクルマに乗ったのだから、横断歩道がない交差点をクルマに乗って横断する歩行者は優先だ!(38条の2)」などと支離滅裂な理屈になりますが、たぶんこのレベルになると整合性を取るよりも開き直りやゴリ押しするだけだろうし。

「歩行者が自転車に跨がっているから、上にいる歩行者は優先」だという珍説を語る人は、38条の2のケースでは違う屁理屈でも語り出すのかな。

 

ちなみに、やたらと長々とした補助標識をつけてある通行禁止標識がたまにありますが、ぶっちゃけた話一度停止して読むくらいの勢いじゃないと理解するのが困難です。
違法な標識に該当するかは難しいけど、あんまり良くないなあ。

 


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