読者様から質問を頂きました。
一方「例えば,住宅街を相当な高速度で走行し,速度違反が原因で,路地から出てきた歩行者を避けられずに事故を起こしたような場合であっても,本罪には当たらないことになる」とあり、結局この話だと進路逸脱を伴わず、速度が速すぎることで他の通行者と衝突を回避できなかった場合が除かれているのだから、立法時の議論の解釈が違うのではないでしょうか?
確認しますね。
4 進行制御困難高速度類型危険運転致死傷罪をめぐる問題
このように,相関的特定危険類型においては一定の改正による対応,運転制御困難類型のうちの酩酊運転類型については,準危険運転致死傷罪の制定という改正対応がなされている。これに対して,同じ運転制御困難類型においても,適用例がほとんどみられない技能欠如類型は別にしても,進行制御困難高速度類型については,その制定時から改正はなされていない。しかしながら,そのことは,立法時に想定された実態と,現実の事象との間に乖離が生じていないことを,必ずしも意味していないように思われる。近時,その適用の可否が問われる事案が目立つようになっているのである。
そこで,以下では,進行制御困難高速度類型に関する問題点を検討することにしたい。( 1 )立法時の議論
進行制御困難高速度類型にいう「進行を制御することが困難な高速度で走行」というのは,立案担当者の解説では,「速度が速すぎるため,道路の状況に応じて進行することが困難な状態で自車を走行させることを意味する」とされた。それへの該当性が認められる具体例としては,以下の 2例が挙げられていた。①そのような速度での走行を続ければ,進路から逸脱させて事故を発生させることとなると認められる速度での走行,これには,カーブを曲がりきれないような高速度で自車を走行させる場合があたる,および②ハンドルやブレーキの操作のわずかなミスによって,進路から逸脱させて事故を発生させると認められる速度での走行,である。これらの例示からもわかるように,運転者が自車を「その進路から逸脱させて事故を発生させる」ことが,主たる要素であると解されている。そして,そのような高速度にあたるか否かは,「基本的には,具体的な道路の状況,すなわちカーブや道幅等の状態に照らしてなされることとなる」とし,また「車両の性能や貨物の積載状況も,高速走行時の安定性に影響を与える場合がある」ことから,判断の一要素になるとされていた。
これに対して,「運転者の技能については,道路の状況や車両の性能とは異なり,類型的,客観的な判断にはなじみにくい面がある」ので,判断要素になることは通常はない,とされていた。また,道路状況等に照らし,このような速度であると認められない場合であれば,「例えば,住宅街を相当な高速度で走行し,速度違反が原因で,路地から出てきた歩行者を避けられずに事故を起こしたような場合であっても,本罪には当たらないことになる」ともされていた15)。(2)学説における議論
危険運転致死傷罪の制定以降,実務においてその成立限界が争われたのは,前述したように,酩酊運転類型と赤色信号等殊更無視類型に集中した面もあり,進行制御困難高速度類型について,とりわけ,立法者のいう「具体的な道路の状況」に関する議論は,相対的に論じられることは少なかった16)。
そのような中において,前記の立案担当者の見解を是認しつつ,「過失犯とは別個の犯罪類型である本罪の性質に鑑みると」,「速度超過に起因する単なる過失との区別」を明確にするために,「個別的な人や車の動きなどへの対応の可能性自体は考慮の外に置かれるべき」とする見解は,実務家から有力に指摘されていた17)。これは,立法当時における運転制御困難類型,特に進行制御困難高速度類型が,過失運転致死傷罪(現在)と量的にもっとも連続する類型であり,どこまでが過失で,どこからが制御困難類型危険運転致死傷罪なのかが類型的に不明確な部分があるので,前提となる危険行為(およびその認識)という部分で十分に絞りをかけた運用をしないと,過失運転致死傷罪を取り込みすぎることになる,との懸念を示す有力な見解18)とも呼応するものであるといえる。
すなわち,あえて標語的にいうのであれば,「具体的な道路の状況」に基づく判断に限定すべきであって,「具体的な交通の状況」との関係での進行制御困難という事態は,危険運転致死傷罪の想定する危険な運転ではない,とする見解が妥当してきたわけである。角度を変えてみれば,酩酊運転類型では,アルコール又は薬物の影響により「正常な運転が困難」な状態が規定されているのに対し,進行制御困難高速度類型では,あくまでも「その進行を制御することが困難」な高速度が規定されているという,条文上の文言の相違から,後者では,「具体的な交通の状況」との関係という判断要素は含まれないとの理解が導かれてきたといえる。https://chuo-u.repo.nii.ac.jp/record/2000746/files/0009-6296_129_6-7_521-549.pdf
また,道路状況等に照らし,このような速度であると認められない場合であれば,「例えば,住宅街を相当な高速度で走行し,速度違反が原因で,路地から出てきた歩行者を避けられずに事故を起こしたような場合であっても,本罪には当たらないことになる」ともされていた15)。
道路状況における「進行制御困難な高速度(つまりハンドルやブレーキの操作のわずかなミスによって,進路から逸脱させて事故を発生させると認められる速度での走行)」ではないと判断された前提での話なのよ。
例えば下記のような事例を考えてみます。

横断車両と道路を直進した車両の事故で、青車両が時速100キロ、赤車両(横断車両)側が死亡したとする。
なお、横断車両はきちんと確認してから横断開始しており、青車両が制限速度を遵守していたなら回避可能だったという前提にします。
その場合、道路直進車両は過失運転致死又は危険運転致死に問われますが、「進行制御困難高速度危険運転致死(2条2号)」は道路の状況に応じてわずかな操作ミスで進路を逸脱しかねない高速度だった場合に成立する。
たまたま「道路の状況」について、轍や段差もなく、「わずかな操作ミスで進路を逸脱しかねない高速度とは言えない」と判断されたとする。
立法時の議論は「制限速度を遵守していたなら衝突を回避できたのだから(対処困難性)、進行制御困難な高速度(2号)」という理論ではないことを確認しただけでして、その速度が「進路を逸脱しかねない高速度だった」なら対処困難性とは関係なく2号危険運転致死が成立するという話なのよ。
要は、「制限速度を遵守していたなら衝突を回避できた(対処困難性)」というだけで本号の罪が成立するのではないことを確認しただけで、その速度が「道路の状況に応じて」進路を逸脱しかねない高速度だったなら危険運転致死罪は成立する。
また,道路状況等に照らし,このような速度であると認められない場合であれば,「例えば,住宅街を相当な高速度で走行し,速度違反が原因で,路地から出てきた歩行者を避けられずに事故を起こしたような場合であっても,本罪には当たらないことになる」ともされていた15)。
前提をすっ飛ばしちゃうと勘違いしやすいかも。
「道路状況等に照らし,このような速度であると認められない場合であれば」対処困難性を理由に2号の罪が成立することは許されないという話でしかない。
元々、進路逸脱を伴わなくても「進行制御困難高速度危険運転」は成立することは様々な論文で指摘されてまして、要はその立証をどうするかの話なわけよ。
検察官が「道路の状況に応じた進行制御困難な高速度」であることを立証しなければ犯罪が成立しない。
その「わずかな操作ミスで進路を逸脱しかねない高速度だった」という立証方法が難しいと考えられていたところ、大分地裁判決で立証に成功した。
シンプルに考えると、そういう話になります。
「立法時から進路逸脱が条件ではなかったけど、進路逸脱を伴わない場合の立証方法が困難だった。そして道路状況における進行制御困難高速度ではない事案については、対処困難性(制限速度を遵守していたなら衝突を回避できた)を理由に同罪が成立することはない」。
速度が速すぎて走行車両との衝突を回避できなかったことで進行制御困難高速度危険運転が成立するのではなく、あくまで問題になるのは「道路の状況に応じた進行制御困難な高速度」。
法制審議会刑事法部会第1回から第3回までの議事録を通読すると,その第2回会議では,立法担当者側から進行制御困難な高速度とはどのような場合かとの説明がされた際「したがいまして,このような制御困難な高速度に達していない場合であれば,例えば住宅街をそこそこの速い速度で走行いたしまして,速度違反が原因で路地から出てきた歩行者を避けられずに事故を起こしたような場合でありましても本罪には当たらない」旨の説明がされたこと
名古屋高裁 令和3年2月12日
これがいつの間にか「対処困難性なら全て含まない」かのような誤解につながっただけで、道路の状況に応じた制御困難な高速度であるなら成立することに変わりない。
そもそも、進路逸脱を伴っていても進行制御困難高速度が否定された事案はたくさんあるのでして、判断基準は進路逸脱ではない。
よく言われる「まっすぐ走れていたから成立しない」については、検察官が「道路の状況に応じた進行制御困難性」を立証できなかっただけのことで、そこが成立不成立の分かれ目じゃないというのは立法時の説明からうかがえる。
で、頂いたご意見は続きがあるのですが、これの件。
大分地裁判決に影響されたのは裁判官や判決結果ではなく、検察官の「立証の方向性」なのよ。
名古屋高裁判決については、道路の状況に走行車両を含むか?という観点から検察官が同罪の立証を試み、対処困難性を含まないとして同罪の成立を否定した。
大分地裁判決は同罪に対処困難性を含まない前提で、道路の状況における進行制御困難高速度だったことを立証し成功した。
両判決では検察官の立証方針が全く違うわけですが、どちらも従来困難とされていた「直線路をまっすぐ走れていた事案」。
大分地裁判決を通じて「直線路をまっすぐ走れていた事案」に対する立証方針が確立されつつあるので、さいたま地検は既に成功した立証方針に従っただけだし、そもそも法解釈上は「進路逸脱を伴わなくても成立する」なのだから裁判所は立証内容をみて従来からの解釈に従っただけなのよね。
刑事事件なのだから、検察官が犯罪の証明をしなければならない(刑訴法333条、336条)。
名古屋高裁判決と大分地裁判決の違いは、検察官の立証方針が全く違う点にある。
なので名古屋高裁判決と大分地裁判決は同一線上にあるものではない。
ただまあ、この人は「弁護人の口裏合わせなんです」を強調したいだけなんでしょうから、これらを理解して伝えたいわけではないのよね。
「まっすぐ走れていた」というのは、被告人が自らいうまでもなく、防犯カメラ映像にある客観的事実に過ぎないし、進行制御困難高速度危険運転は進路逸脱を伴わなくても成立することは立法時の説明や各種論文で指摘されてきたこと。
「まっすぐ走れていた」と主張しても、そんなことは防犯カメラ映像を見りゃわかる「客観的事実」でしかないのに、この主張をしたら同罪の不成立に繋がると考える思考が変なのよね…
仮に口裏合わせだったとしても、法的に意味があるわけでもない。
他に主張することもないからそういうしかないわなとしか思わないけど、弁護人の入れ知恵だという陰謀論がお好きな人は、そう信じればいいのではないでしょうか?
きちんと理解すれば、仮に入れ知恵だったとしても意味があるわけでもないとわかるでしょうし。
陰謀論に乗っかれば認識が歪むだけなので、うちはそういうのはやりません。
2011年頃からクロスバイクやロードバイクにはまった男子です。今乗っているのはLOOK765。
ひょんなことから訴訟を経験し(本人訴訟)、法律の勉強をする中で道路交通法にやたら詳しくなりました。なので自転車と関係がない道路交通法の解説もしています。なるべく判例や解説書などの見解を取り上げるようにしてます。
現在はちょっと体調不良につき、自転車はお休み中。本当は輪行が好きなのですが。ロードバイクのみならずツーリングバイクにも興味あり。


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