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道路交通における世論の処罰感情と法律のズレ。

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これについてちょっと語ろうと思う。

息子死亡…速度120キロの車にはねられる 青信号の横断歩道で 救護しなかった運転手を逮捕、危険運転致死の疑い その後、過失運転致死罪で起訴…納得できない母、署名集めて提出「これだけの運転をして過失か」(埼玉新聞) - Yahoo!ニュース
埼玉県狭山市で昨年12月、時速約120キロで走行して赤信号を無視した車に男性がひき逃げされ死亡し、自動車運転処罰法違反(危険運転致死)などで男が逮捕された事件で、さいたま地検川越支部は1月28日に

事案は著しい高速度で信号無視して事故を起こし、救護義務違反(ひき逃げ)もしたもの。

 

要するにこれを危険運転致死傷罪として処罰するには、「進行制御困難高速度(処罰法2条2号)」か「殊更信号無視(同7号)」に該当する必要がある。
危険運転致死傷罪は処罰法2条に限定列挙されたどれかに当てはまらないと成立しない。

 

進行制御困難高速度の解釈は散々語ってきたから詳細は割愛しますが、ここでいう進行制御とは「進路から逸脱しかねない危険性」の話であり、速度が速すぎることで衝突を回避できなかったという「対処困難性」のことではない。

殊更信号無視(7号)については、赤信号であることの確定的認識が必要になる。

 

さて、今回のテーマは世論と法律のズレである。
道路交通法上の信号無視については、「故意犯」は119条1項2号により三月以下の拘禁刑又は五万円以下の罰金、「過失犯」は119条3号により十万円以下の罰金と法定刑を分けている。
信号無視の故意犯とは、赤信号であることの認識(未必的でもよい)があり信号無視したことである。
信号無視の過失犯とは、何らかの不注意により信号を見落として結果的に信号無視したことを指す。

 

故意犯のほうが悪質だから法定刑に差をつけているわけですが、

 

世論の考え方はそうではない。
信号無視したという「結果」が、どちらも同じだと考えるわけ。
理由はともかく信号無視したなら悪質であり、故意で信号無視したことと過失で信号無視したことに差をつける必要性がないだろ!というのが世論。

 

そこが法律と世論のズレなのよ。

 

さて。
法律一般を見渡したときに、例えば殺人と過失致死はその悪質性が違うのは明らかですよね。
ところがちょっと考えて欲しいのは、赤信号であることを認識しながら信号無視したことは危険行為である一方、前をよく見てなかったために信号無視したこと…つまりこの場合の過失とは「前方不注視」になる…は危険行為であることに変わらないし、前をよく見てなかったこと自体はむしろ「そんな状態で運転すんなよ」として十分危険行為なのよ。

 

赤信号であることを認識しながらあえて信号無視したことと、信号すら見落とすレベルで前方不注視の状態で結果的に信号無視したこと、両者の悪質性はどっちが高いのか難しい。

 

信号すら見落とすレベルで運転したことも、十分悪質と言い得るのよね。

 

近年の判例をみていると、ながらスマホによる著しい前方不注視による事故については、ほとんど故意に近いものとして過失運転致死傷罪の中でも量刑は重くなる傾向にある。

 

法律上は故意犯と過失犯が分かれていて、故意犯のほうが悪質ということになっている。
しかし容易に死亡事故に至る危険性が高いクルマの運転行為について、「著しい前方不注視」というのはむしろ故意犯と同等と言い得るし、だから「ながらスマホによる事故」については量刑判断が厳しくなる。

 

ところで、自転車や歩行者の信号無視ってほとんどが故意犯ですよね。
赤信号であることを認識しながら、クルマが来ないことを確認して横断する。

 

一方、クルマの信号無視ってほとんどは過失犯なんだと思う。
「ギリギリ黄色や!」と主張する人が絶えないけど、赤信号である認識がないから過失による信号遵守義務違反罪になる。

 

けどこれを「故意だから過失よりも悪質だ」と言い切れるのか?という疑問が生じる。
一応は安全確認して故意に信号無視した自転車や歩行者と、安全不確認前方不注視で「過失により」信号無視したクルマ。

 

どっちが悪質性が高いのかよくわからなくなるのでして。

 

そして世論はそもそも故意・過失により分けるという考えがなく、信号無視したという「結果」で一律同じ悪質性だと捉える。
そこが法律と世論のズレなのよ。

 

それはひき逃げにもいえる。
救護義務違反は故意犯の処罰規定しかないから、事故が発生した認識がないなら、結果的に逃走したとしても罪には問えない。
しかし世論は違う。
「逃走したという結果」のみを以て悪質だと考える。

 

世論は結果で捉え、法律は結果に至る過程の認識を問う。
よくある無罪判決報道でも、「結果的に人が死んだのに無罪とは司法かおかしい」という意見が出ますが、起きた結果の重大性で罪が決まるべきというのは、あらゆる状況を考えると不合理なのよね。

コメント

  1. より:

    最後の轢き逃げについて、加害者側が「気づかなかった」と言って減刑になると浸透しているのも問題かなと。
    フロントガラスが割れてボンネット凹んでるのに気づかなかった人だと思わなかったとか、絶対嘘だろって思いつつも断定しようがないニュースをよく聞きますし、それが最終的に裁判でどうなったかはよほど関心がないと知る機会がないですしね

    • roadbikenavi roadbikenavi より:

      コメントありがとうございます。

      「きづかなかった」という供述ですが、故意の認定(つまり事故を起こした認識の認定)は客観的証拠が優先するため、そこまで意味があるわけではありません。
      フロントガラスの破損は事故が起きたことを認識した証拠になりますし、要するに「気付かなかった」という供述+客観的証拠が乏しい場合に無罪になるだけです。

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